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十七代目 中村勘三郎が雑誌のインタビューの時に語った格言(歌舞伎役者)[今週の防災格言261]

time 2012/12/10

十七代目 中村勘三郎が雑誌のインタビューの時に語った格言(歌舞伎役者)[今週の防災格言261]


『 新婚初夜にいきなり空襲で “みなさん防空壕にはいってください” と(宿泊先の帝国ホテル従業員が)僕の部屋のドアをたたいたけど、僕はここにおいてください、ここで死んでも本望だからって逃げなかった。 ところが空襲の後しばらくして大地震がありましてね、その時は飛び出しました。 』

十七代目 中村勘三郎(1909〜1988 / 歌舞伎役者 人間国宝(昭和50年))

十七代目 中村勘三郎は、昭和に活躍した歌舞伎役者。屋号は中村屋。初代・中村吉右衛門と六代目・尾上菊五郎に師事し、女形・立役をこなす名優として知られた。本名は波野聖司(なみの せいじ)。長男は十八代目・中村勘三郎(本名は波野哲明 / 1955〜2012)。

格言は雑誌(週刊平凡 昭和40年4月29日号)インタビューより。

戦争中の昭和18年、勘三郎は「召集令状が届いたその日」に久枝夫人(六代目 尾上菊五郎の長女)と急いで結納をかわし、すぐ陸軍甲府連隊に送られた。『甲府にいったとたんに身体の具合が悪くなり、その日のうちに帰されてきちゃった』と結局は戦争には行かなかったという。1944(昭和19)年12月29日に帝国ホテルで結婚式をあげたが、この日、東京は空襲に遭う(この時の結婚写真は空襲で全て焼失し一枚も残っていない)。
調べると、この日(1944(昭和19)年12月29〜30日)東京に空襲はあっても震度4以上の地震記録はないので、恐らく勘三郎の記憶違いだろう。
大きな地震とは、昭和19年12月7日に発生した東南海地震(M7.9 死者1,223人)か、翌年の昭和20年1月13日の東南海地震の余震の三河地震(M6.8 死者2,306人)のことと思われる。

■「中村勘三郎」氏に関連する防災格言内の主な記事
作家・立松和平氏(2010.02.15 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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