『 前事の忘れざるは、後事の師なり。 』
“前事之不忘、後事之師也。”
賈誼(BC200~BC168 / 中国・前漢時代の学者 文章家・思想家)
格言は賈誼(かぎ)が著した政論『過秦論(かしんろん)』下より。
(出典は司馬遷『史記:秦始皇本紀』第六から)
口語訳 「 以前あった事を忘れずに心に留めておけば、後に手本となる。 」
過去にあった事から得られた教訓は、後に物事を処理する時の参考にもなるし、よい手本ともなる、の意味。
『過秦論』は、戦国時代に秦が他の六国を滅ぼし中国全土を統一したにも関わらずわずか二代で滅亡に至った原因を分析した論説。
この中に 《 世の諺に「前事之不忘、後事之師也。」とあるように、君子が国を治める為には、過去を観察し教訓を活かし、人事や去就を誤らず、時勢に合せて物事をすすめれば、国は長続きすることは間違いない。 》 とある。
(原文:野諺曰「前事之不忘、後事之師也」。是以君子為国、観之上古、験之当世、参以人事、察盛衰之理、審権勢之宜、去就有序、変化有時、故曠日長久而社稷安矣。)
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賈誼(かぎ)は、前漢の第5代皇帝・文帝(在位:BC180〜BC157年)に仕えた文臣。若くして洛陽の秀才とうたわれた。文帝の即位に際し、最年少の博士に抜擢され、その年のうちに太中大夫に昇進。文帝が公卿に任じようとしたが、保守的な元老に疎まれ、失脚して長沙へと左遷された。3年余りで中央へ復帰、文帝が最もかわいがっていた末子の梁王の太傅(たいふ)となったが、紀元前169年に梁王が落馬して亡くなったことを悼み、一年余ののち自身も33歳の若さで病死した。
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