『 安全性をまず第一に考えないといけない。しかし、何万時間、無事故できたなんて人前でいうことでもない。 』
若狭得治(1914〜2005 / 運輸官僚・実業家 全日本空輸名誉会長)
曰く―――。
結婚式とかいろいろな会や式典で、社員が「全日空は何万時間無事故できました」とか言うでしょう。その事実はたしかに涙がでるほどうれしいんですが、そんなこと人前でいわんでくれ、と。
格言は「福田浩丈の問答有用(健康開発事業団 1999年)」より。
若狭得治(わかさ とくじ)は、運輸官僚、全日本空輸副社長・社長・会長・名誉会長を歴任した富山県出身の実業家。富山県立砺波中学(現砺波高等学校)、富山高校学校(現富山大学)を経て、東京帝国大学法学部に入学。
1938(昭和13)年に大学を卒業後、逓信省(現運輸省)に入省。運輸省海運総局日本海事務局輸送課長、大臣官房企画課長、神戸海運局長、灯台部長、海運局長などを経て、1965(昭和40)年、運輸事務次官となる。
運輸官僚として海運再編、国鉄運賃値上げ問題の処理、船員ストの調停など戦後の難問題を担当したほか、日米航空協定の改定、日ソ航空協定の締結、新成田空港公団の設立などに功績を残し、1967(昭和42)年に退任。
1969(昭和44)年、全日空顧問として招聘され、1970(昭和45)年社長に就任すると、全日空の国際線進出を実現させ、同時にホテル事業を展開するなど経営の多角化をはかり「全日空中興の祖」と呼ばれた。しかし、1976(昭
和51)年に新型ジェット旅客機の選定をめぐり「ロッキード事件」が発覚。贈賄罪での起訴は時効により見送られたが、外国為替管理法違反、議院証言法違反で逮捕起訴され、1992(平成4)年最高裁判所で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決。その後も長く日本航空業界の実力者として活躍。1976(昭和51)年全日空会長、1991(平成3)年名誉会長、1996(平成8)年日本航空協会会長。1997(平成9)年相談役に退き、1998(平成10)年より常勤顧問となる。2005(平成17)年12月27日、肺炎により都内の病院で死去。91歳。
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