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高橋雄豺(1889~1979 / 戦時中の読売新聞主筆・副社長)が著書「警察論叢(昭和2年)」の中で関東大震災などについて記した名言 [今週の防災格言546]

time 2018/06/11

高橋雄豺(1889~1979 / 戦時中の読売新聞主筆・副社長)が著書「警察論叢(昭和2年)」の中で関東大震災などについて記した名言 [今週の防災格言546]

『 不幸にして大地震には火災を伴う場合多く、殊に都会地に於ける大地震は殆んど例外なく大火災を惹起じゃっきし短時間内に想像に絶する多数の人命財産を焼燼しょうじんするに至ることが多い。 』

高橋雄豺(1889~1979 / 新聞経営者 読売新聞社副社長 法学博士)

格言は著書『警察論叢(昭和2年)』より。

曰く―――。

我国には古来大火災の発生することが極めて多く、之に依って蒙る損害の大なることも亦(また)驚くべきものがある。所謂天災として数えられるものは地震、火災、洪水、疫病の数種であろうが、就中(なかんずく)最も恐るべきものと考えられ、被害の区域も広汎に亘り、且つ被害の程度も激烈なる地震の如きものすら、火災を伴うことなくんば人命財産に対する損害は比較的に小なるを常とする(学者の説に依れば、我国の如き木造家屋に於ては、地震に基く死者の数は、火災なくんば潰家十一戸に付き一人に過ぎざるも、火災を伴うときは其の三倍又は四倍に達すと云う)。

不幸にして大地震には火災を伴う場合多く、殊に都会地に於ける大地震は殆んど例外なく大火災を惹起(じゃっき)し短時間内に想像に絶する多数の人命財産を焼燼(しょうじん)するに至ることが多い。其の適例は一昨年九月一日の東京及び横浜地方に於ける大災害(※1923年の関東大震災)に之を求めることが出来る。即ち今日までに公表せられて居る損害は大なるものであるが、死者の大部分は直接地震に因るものではなくして、続いて起った火災に依るものとせられて居る。

地震に伴う火災は只に一昨年に初(はじま)ったことではなく、歴史は何回となく同じことを繰り返して、我等の祖先を苦しめ且つ警(いま)しめたのであった。近世に於ても弘化四年三月の善光寺大地震は、続いて起りたる火災に依って、折柄開帳の為に集り居たる参詣者三万余人を殺し、元禄十六年十月及び安政二年十月の江戸大地震にも、各々大火災を起して、三万余人及び一万余人の死者を生じたと称せられて居る。我国が地球上に於ける最も著名なる地震帯に沿うて居る以上は、過去に於て数多の大地震を経たと同様に、将来に於ても多数の地震を経験するに至るべきは必至(ひっし)の運命であろう。社会の趣勢(すうせい)は益々人口の都市集中を促がし来ることも亦(また)避く可(べか)らざる事実である。我国の家屋の大部分が将来に於ても、尚木造たるべきこと亦 殆んど疑うべき余地を存じまい。一方、化学薬品や瓦斯(ガス)其の他火災の原因となり易き事物の益々多くなることを考うれば、地震に基づく火災の害は今後に於ても避け難きことであろう。

高橋雄豺(たかはし ゆうさい)は、戦時中から敗戦時まで正力松太郎社長の腹心の一人として読売新聞社の主筆、副社長をつとめた人物。
敗戦直後の読売争議で退社を余儀なくされたが、昭和30(1955)年に副社長に復帰し、大阪読売新聞社会長を兼任。昭和40(1965)年には同社最高顧問となった。

正力社長の独裁体制が顕著だった戦時中の読売新聞社は、経営幹部を正力の出身母体となる内務省警保局の「警視庁人脈」で固め、一方で編集局には学生運動や左翼運動の出身者らで固めたことでも知られる。

高橋は明治22(1889)年11月3日、愛媛県西条市に生まれる。旧制北予中学(現松山北高校)を卒業後に上京して、明治42(1909)年に警視庁巡査として神田警察署管内の神保町の交番などで勤務。深川警察署、本所警察署、早稲田警察署で勤めた後、大正3(1914) 年に警察官練習所(現在の警察大学校)に入学し法律を学んだ。後藤文夫(内務省・警保局保安課長)や安河内麻吉(内務省警保局長)、丸山鶴吉(警視庁警視総監)らに認められ、大正4(1915)年から内務省警保局保安課に採用され、同年には高等文官試験に首席合格し、内務官僚として静岡県警視・警察部保安課長、静岡県属の内務部学務課長を歴任。大正9(1920)年から大正11(1922)年まで内務省の国費留学で欧米(イギリス、ドイツ、フランス、アメリカ)を遊学し各国の警察制度の調査を行った。帰国後は内務書記官・警保局警務課長、静岡県書記官・内務部長、昭和4(1929)年には東京へ呼ばれ警視庁書記官・警務部長を歴任。昭和6(1931)年、香川県知事に任じられ、翌年依願免本官となり退官。昭和8(1933)年、警察時代の上司だった正力の読売新聞社に外報部長として入社し、主筆、副社長を務めた。敗戦後の昭和20(1945)年の読売争議で退社し、後に復帰し副社長・最高顧問として読売新聞社の経営の中枢で活躍し、昭和54(1979)年8月26日、89歳で死去。
高橋雄豺
高橋雄豺(写真:Wikiより)

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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