『 官に頼ることなくたくましく生きる 』
串田孫一(1915〜2005 / 哲学者・詩人・随筆家・画家 山岳文学で著名)
串田孫一(くしだ まごいち)は、旧東京市芝区生まれの教育者・詩人・登山家。山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる著作で知られ、生涯に500冊を超す膨大な書を世に送り出している。主著に『山のパンセ』『羊飼の時計』『博物誌』など。父は三菱銀行会長の串田万蔵(1867〜1939)。長男は俳優・演出家の串田和美、次男はグラフィックデザイナーの串田光弘。
1923(大正12)年、7歳のとき関東大震災で罹災。自宅が焼けたために、しばらく避難生活を強いられたが、その時に醸成されたのが、官に頼ることなくたくましく生きる、という自律の意識だったと語っている。ちょうど震災直後の幼少期(小学2年生)から毎日日記をつけるようになり、登山をはじめてからも、こと細かな山行記録を書くのが習慣だったそうである。暁星中学校に入学した1927(昭和2)年から登山をはじめ、東京帝国大学文学部哲学科に在学中には詩や散文を書いて多くの山岳雑誌へ寄稿している。1938(昭和13)年に処女短編集『白椿』を上梓。上智大学、東京高等学校で教鞭をとり、1965(昭和40)年に退官するまで東京外国語大学教授を務めた。1955(昭和30)年、初の山岳随筆集『若き日の山』を出版、1958(昭和33)年には山の詩人として知られる尾崎喜八(1892〜1974)らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983(昭和58)年に終刊するまで編集責任者を務めた。1965(昭和40)年にはじまったFM東海(FM東京)の音楽と詩の朗読を交えたラジオ番組『音楽の絵本』では1994(平成6)年までの30年間、1500回で番組パーソナリティーを務め多くのリスナーに親しまれた。1980(昭和55)年、紫綬褒章。2005(平成17)年7月8日に東京小金井の自宅で死去。89歳。
格言は、亡くなる直前の日本経済新聞(2005年6月24日夕刊)のインタビュー記事「道草の効用」より。
曰く―――。
優しさや温かさが大切にされない時代になってきた感じがします。
日本人は元来、自然とうまく折り合いをつけながら暮らしてきた。その生き方こそが、今の時代に求められている。
新聞を読んでいても明るい話が少ない。勝ち組だ、負け組だとだんだんつらい世の中になってきました。
今の時代をどう語ったらいいか・・。日本人が利口になりすぎた気もします。これ以上は文句を言われるからやめておこうと、議論を避ける。
私の恩師である仏文学者の渡辺一夫先生は「敗戦日記」を書かれた方です。あの戦時下でも、国のあり方をしっかり問うていた勇気ある知識人がいたのです。
でも、この前、電車に乗って歯科医に出かけたときは、若い女性が、どこか、お体の具合が悪いのですか、と声をかけてくれた。道で転んだときも小学生の男の子が、おじちゃん、頭から血が出ているよ、とハンカチを貸してくれた。こういう経験をしてみると、この国もまだ捨てたものではないな、と思ったりもします。
そう、戦争末期に「金魚、金魚」という金魚屋の売り声を聞いたときに抱いたのと似た感じですね。
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