昨日(2010年2月23日)夜19時30分頃、JR横浜駅ホームで電車を待っているとき、ぴゅーぴゅーというような大きな警告音とともに日本語で男性と続いて英語の自動アナウンスが鳴り響いた。
「火災警報。火事です。地下1階で火災が発生しました・・・」
帰宅ラッシュの混雑するホーム上にいたほとんどの人達が、アナウンスに気づき、耳を傾けていたが、広い構内のこと、火災が本当に起こっているのかどうかも分からず、警告音が鳴っているスピーカーがどこにあるかすら判然としない。だから、きょろきょろと、ただ周囲を見回す人だけがそこら中に大勢いた。
慌てたり、逃げ出したりする人影もおらず、そんな喧騒な様子もないため、警報から約30秒ほどで、私も何となく「きっと誤報に違いない・・・」と自問した。ほとんどの人達も同じように感じていたのだろう。
数分間以上、警報は繰り返し流れているにもかかわらず、JR職員からの事実確認や状況説明といったアナウンスは一切流れることがなく、そんなわけのわからない状態が私が19時35分発の下り電車に乗り込むまで続いていた。電車に乗った後もしばらく警報は続いていたに違いない。
帰宅してすぐインターネットなどでニュースを調べたが、火災のニュースは見つからず、やはり誤報だったのかと一様の納得はしたものの。何で警報が鳴ったのか? 何で警報に対するフォローが短時間に行われなかったのか?正確な情報が一切ないためになんとも釈然としない気持ちになった。
誤報なら誤報と、訓練なら訓練と、小火(ぼや)も含め火事の警報なら適切な指示(避難の必要性や避難場所等の案内)を、少なくとも数分以内に何らかのアナウンスを出さなければならないのではなかろうか。JRの危機管理対策に少々の不安を感じた。
この日、身近な火災という危機そのもの直面したときの人間の行動「きっと(自分だけは)安全に違いない」という思い込み(心理学上の正常性バイアス)というものをたいへん考えさせられた一日だった。
警報後の私はというと、もしも本当に火事だったらとも当然考えたので(数年前の韓国テグ地下鉄火災を思い出した)、火災による爆発などがあったらやだなと思って、無言でホームに並ぶ人と人との隙間を割るように少し身をかがめ移動した。人道上申し訳ない行動でもあるが、人体は爆発の衝撃などの遮蔽物になるという研究結果があるための念のための処置であった。そして、周囲を見渡して、火が迫ったら、どこに避難しようかと、脳内シミュレーションしてばかりいた。
とにかく、日頃から通勤に使っている駅構内でも、緊急時の避難経路や避難行動・避難場所について存外知らない事が多いのに気づかされた。そもそも良く使う駅であっても、駅構内の見取り図は頭に入ってなんかいないので、緊急事態に際して、なんらアナウンスが流れず、自分だけが頼り、といった事態に直面したときに、本当に無事でいられるのだろうか。
さて、火災警報の誤報で思い出したことがある。
私が経験した最も怖い「誤報体験」である。
今から4年ほど前、台湾(台北)に妻と旅行した時。
ツアー会社から、外国人観光客用の免税店が集まるショッピングモールのような広い地下施設に案内された。
ただ現地のツアーコンダクター(台湾人女性)に案内されるがままにバスに乗って行った場所なので、その免税店がどこにあるどんな建物のどこだとか、全くわからない。
分かることは、ここで買い物をして欲しいというツアー会社の意図と、帰る時の集合場所・集合時間だけである。
しばらくショッピングを楽しんでいると、けたたましいベル音が鳴り響いた。
恐らく火災報知器だろう大音響と共に、地下一階の広い店内全ての鉄のシャッターが自動的に閉まってしまい、私たちは広い店内に閉じ込められてしまった。
そして、まもなく停電して閉鎖された地下一階は真っ暗闇になった。
フロアーからは女性の悲鳴が聞こえてくる始末である。
停電後1分くらいかな、すぐに電気が復旧したのがせめてもの救いであった。
私にしがみつく妻へ「大丈夫だ」と作り笑顔で応えたものの、私自身も不安は隠せず、さきほどから心臓はずっと高鳴りっぱなしだった。
呆然と立ち尽くしている免税店の台湾女性スタッフ。彼女たちから私たちに声をかけるようなそぶりは一切なかった。英語で「何があったの?」と聞いてみたが見向きもされなかった。そもそも言葉は通じないらしいし、北京語で返されてもこちらも理解できない。
「これは取り残された」という気分に陥って天を仰いでしまった。
非常ベルはずっと鳴り止まず、辺りには火の気も煙も見えずという状態だったので、やや心を落ち着かせて、帰りの集合場所だったエスカレータ前まで移動することにした。
エスカレータ前にはツアコンの台湾人女性がすでに待っていた。唯一言葉が通じる知己に会えたことに安堵しつつ「ここに早々に向かって正解だった」と思った。
エスカレーターは当然止まっており、しかもシャッターが閉まっているため外に出ることができない。
数人の人達(店員か?)がエスカレーターのところのシャッターを必死に開けようとしている姿が見えた。
顔面蒼白で不安をあらわにする彼女に状況を聞いたところ、彼女も「良くわからない」と答えた。
そんな状態が数分続いて、店内の雰囲気も落ち着きを見せてきた頃、スーツを着た店舗スタッフをつかまえてツアコン彼女が事情を聞いてくれた。
「火災報知器の誤作動でシャッターが閉まった。火事ではないので安心して。しばらくして復旧する。」
ということを説明された。
その後、3〜4分ほどで、いっせいにシャッターが開いた。
シャッターの隙間から見えた、1階からの外光が、なぜだかまぶしく感じた。
陽の光の何と頼もしいことか! 店内からは拍手がわき起こっていた。
私もようやく安堵した。生きてて良かったと本心から思った。
言葉が通じる日本にいてさえ、予期しない警報に、ちょっとした不安を感じるのに、土地勘もなく言葉の通じない海外では将にそれが恐怖になります。今でも、あれが本当の火事だったら、きっと助からなかっただろうと思っています。
あれ以来、見知らぬお店に入るときには、避難路(ピクトグラムなど)を何気なく探す癖が付いています。
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