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渡辺文夫が日本経済新聞の連載に遺した格言(元東京海上火災保険会長)[今週の防災格言311]

time 2013/11/25

渡辺文夫が日本経済新聞の連載に遺した格言(元東京海上火災保険会長)[今週の防災格言311]


『 今、再び関東大震災級の地震が発生したら、どれだけの被害になるか予測することは極めて困難だが、敗戦後、東京の焼け野原を復興させたあの国民的エネルギーが、その時も残っているかどうかが問題であろう。 』

渡辺文夫(1917〜2012 / 実業家 東京海上火災保険会長 日本航空会長)

格言は日本経済新聞の連載「私の履歴書(東京海上火災保険相談役 渡辺文夫氏 #2 家族―6人兄弟、屈託ない母 1998(平成10)年12月2日朝刊)」より。

曰く―――。

強く記憶に残っているのは1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災のことだ。
私は小学一年生だったが、この年も夏休みで葉山の別荘(※祖父の北里柴三郎の別荘)に家族とともに残っていた。地震の強烈な衝撃で本能的に庭に飛び出したが、歩けないくらい地面が揺れた。幸い家は多少傾いただけでつぶれなかったが、余震があるので数日間は庭に蚊帳をつって寝た。海軍の軍艦が横須賀から品川まで避難民を輸送してくれるというので、葉山から横須賀まで十数キロの道のりを炎天下六歳の子供の脚で歩かされたのはきつかった。
東京の青山の家が無事だったのも幸運だった。関東大震災は死者・行方不明者10万4千人、被害家屋69万戸という大打撃を日本に与えた。

渡辺文夫(わたなべ ふみお)氏は、東京青山で、弟1人と妹4人の6人兄弟の長男として生まれた。母方の祖父は細菌学者の北里柴三郎、祖母は元日銀総裁の松尾臣善の娘で、父は東京大学教授でのちに東宝社長となった渡辺銕蔵(てつぞう / 1885〜1980)である。
東京帝国大学を卒業後、1939(昭和14) 年に海軍経理学校海軍主計科短期現役士官(2期)に入校し同年9月に卒業すると東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)入社。自動車業務部長、火災新種業務部長などを経て、1971(昭和46)年常務、1975(昭和50)年専務、1978(昭和53)年社長に就任。以降、社長を6年間、1984(昭和59)年から4年間会長を務めた。2002(平成14)年から名誉顧問。1980年代には、経済団体連合会(現・日本経済団体連合会)副代表幹事、1988(昭和63)年から3年間は日本航空会長も務めた。また、財団法人・海軍歴史保存会財務委員長、財団法人・日本棋院理事長最高顧問なども歴任。肺炎で2012(平成24)年2月10日に94歳で死去。

■「渡辺文夫」氏に関連する防災格言内の記事
北里柴三郎(2008.12.15 防災格言)
坪井 東・三井不動産会長(2012.10.15 防災格言)
児島 仁・NTT社長(2009.02.16 防災格言)
関本忠弘・NEC会長(2012.10.01 防災格言)
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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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