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田中正造の日記に記された名言(1841〜1913 / 政治家 足尾銅山鉱毒事件を告発)[今週の防災格言308]

time 2013/11/04

田中正造の日記に記された名言(1841〜1913 / 政治家 足尾銅山鉱毒事件を告発)[今週の防災格言308]

『 独り聖人となるは難からず。社会を天国へ導くの教や難し。 』

 

田中正造(1841~1913 / 政治家・衆議院議員 足尾銅山鉱毒事件を告発)

 

格言は盟友の記者・木下尚江(きのした なおえ / 1869〜1937)の著書「神・人間・自由(中央公論社 1934年)」抄出の正造の日記(明治42(1909)年7月7日 古河町停車場田中屋の休息室にて書 ※田中正造69歳の時)より。

曰く―――。

是れ聖人の躓(つまづ)く所にして、つまづかざるは稀なり。男子、混沌の社会に処し、今を救い未来を救うことの難き、到底一世に成功を期すべからず。ただ労は自ら是れに安んじ、功は後世に譲るべし。之を真の謙遜と云う也。
<中略>
今世の人の常識を言うは、多くは是れ神を離れたる常識、天を畏れざる常識、信仰なき常識のみ。是れ真理に遠き常識なり。真理を離れたる常識は即ち悪魔の常識となる。常の一字、難いかな。

… … …

田中正造(たなか しょうぞう / 幼名:兼三郎)は、明治時代に起った日本初の公害「足尾銅山鉱毒事件」を告発、その解決に生涯をかけて取り組んだ人物。
時代が明治へ変わり、新政府は欧米に倣い近代化を掲げ、殖産興業・富国強兵を推し進めた。当時の足尾銅山は日本最大の鉱山として東アジア最大の銅生産率を誇っていたが、同時に、銅生成時の鉱毒により渡良瀬川周辺(栃木県と群馬県)で農作物や魚が汚染され、荒廃した土地が更なる災害を引き起こす深刻な事態となっていった。
下野国安蘇郡小中村(現栃木県佐野市小中町)の旗本六角家の名主富蔵の長男として生まれた正造は、名主を経て自由民権運動家、栃木県議会の指導者となると、明治23(1890)年の第1回総選挙で衆議院議員に当選(以降、当選7回)。明治24(1891)年から明治34(1901)年に至る10年間、衆議院の壇上で「足尾鉱毒事件」を叫んだが、議会の理解を得ずに終わり、明治34(1901)年10月23日に議員を辞し、ついに明治34(1901)年12月10日、明治天皇に直訴した。これは当時の最高刑で死刑とされる命賭けの行動だった。
その後、鉱毒事件は社会問題として認知されるも解決することはなく、失意の正造は谷中村に移り住み、大正2(1913)年9月4日に71歳で死去。財産はすべて鉱毒反対運動に使い、死亡時の全財産は合切袋1つの無一文だった。
尚、2013(平成25)年は、正造没後100年の年となる。



全文「明治42(1909)年7月7日 古河町停車場田中屋の休息室にて書」
独り聖人となるは難からず。社会を天国へ導くの教や難し。是れ聖人の躓(つまづ)く所にして、つまづかざるは稀なり。男子、混沌の社会に処し、今を救ひ未来を救ふことの難き、到底一世に成功を期すべからず。ただ労は自ら是に安んじ、功は後世に譲るべし。之を真の謙遜と云ふ也。
神の姿、目ある者は見るべし。神の声、耳ある者は聞くべし。神の教、感覚ある者は受くべし。此の三者は信ずるによりて知らる。
目なき者に見せんとて、木像を作る。木像以来、神ますます見えず。音楽以来また天籟(てんらい)に耳を傾くる無し。
今世の人の常識を言ふは、多くは是れ神を離れたる常識、天を畏れざる常識、信仰なき常識のみ。是れ真理に遠き常識なり。真理を離れたる常識は即ち悪魔の常識となる。常の一字、難いかな。
眼鏡のゴミの掃除を事業の如くする者あり。眼鏡は何の為に掛けるか、物を見る為めなり。眼鏡は掃除の目的にあらず。神を見るは眼鏡の力にあらず。仏智は心眼と言ふ。心を以て見るに尚ほ私心を免かれず。口に公明と言ひ誠大を言ふも其力よく聖に到らざれば、心眼明かなりと言ふ能はず。聖も尚ほ之を病めり。聖なればこそ之を病めり。常人は病ともせざるなり。
人若し飽くまで神を見んと欲せば、忽にして見るべし。誠に神を見んと欲せば先づ汝を見よ。精を尽し力を尽して、先づ汝の身中を見よ。身中、一点の曇なく、言行明かにして、心真に見ん事を欲す、然る後に見るべし。徒に神の見えざるを言ふ、其愚憐むべし。
偶々聖に似たる者あれども、一人の聖、独りの聖のみ。独立の成人なく、世界を負ふの聖人なし。故に我は我を恨む。我力の弱き、我信の薄き、我が精神の及ばざる、我力の足らざるを恨む。
誰ぞキリストの真を以て立つ人なきか。世界を負ふの大精神を有するものなきか。
予は在りと信ず。信の一のみ。信は神と共に在り。神と共にせば、何事の成らざるなし。是れ億兆を救ふ所以なり。
世界的大抱負は、誠に小なる一の信に出づ。此の小や、無形にして、小とだに名づけ難しと雖(いえど)も、而かも天地に充ち、自在にして到らざる所なし。
神ともなり、牛馬ともなる、世人、此の易きを学ばず。予の悲痛苦痛、此処にあり。








 

著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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