著者
株式会社セイエンタプライズ
代表取締役 平井雅也
「おいしさ」の正体を考える・・・
非日常とは日常の延長線上にあり、(災害が発生した)ある時ある瞬間から突然始まります。ですから、非日常と日常を分割する事は出来ず、非常食(防災食・備蓄食)は、普段から食べているような日常食であることが望ましいのです。
いま、普段から食べられる「おいしい非常食」が求められます。
さて、この「おいしい」とは、どういう意味でしょうか?
私たち人間は、食べなければ生きていけません。この場合の「食べる」とは消化です。私たちの身体を構成する細胞は、実は次から次へと生まれ変わっており、毎日毎秒私たちは絶えず変化しています。難しい言葉で、私たちは“動的平衡”の中に存在しています。
このことを発見したのはR・シェーンハイマーというユダヤ人の科学者で、詳しくは青山学院大学教授の福岡伸一さん著「動的平衡論」をお読みください。
さて、細胞を構成するたんぱく質、さらに分子、原子のレベルまで食物は分解されて、新たに私たちの身体を構成する細胞にまで再構成される活動が消化です。必須栄養素とか、必須アミノ酸だとか、話題になる栄養分を含む食品がありますが、身体を作るのに必要だから欲しくなるんですね。この足りないものが欲しくなる、欲しい、という感覚が「おいしい」です。
私は「おいしい備蓄食」の販売に携わる者として、「おいしい」というあいまいな言葉の定義を考えてきました。その中で、京都大学の伏木亨先生の記された「おいしい」が最も腑に落ちたので、私なりの解釈でご紹介します。非常食をおいしく食べるヒントにもなることでしょう。
伏木先生の言う「おいしい」は、次の5つです。
1)生存欲求(生理的な欲求)
2)食文化に合致する(文化的欲求)
3)情報がおいしい(前頭葉的欲求)
4)薬理学的欲求
5)人が集まるとおいしい(行動生理学的欲求)
つまり、1)お腹がすいているとおいしい、2)おふくろの味がおいしい、3)ミシェランの三ツ星店はおいしい、4)だしと油と砂糖はおいしい、5)みんなで食べればおいしい――ということです。
もう少し、噛み砕いていきましょう。
冒頭にお話しした消化、足りないから欲しいという本能的な生存のための欲求が、1番目です。米国にマズローという心理学者がいました。マズローさんは人間の欲求を5段階のレベルに分けました。そしてその最下層(根源的な欲求)が食べることでした。人は、お腹がすいているときに、「お腹いっぱいに食べた~い!」と思うものです。
余談ですが、とんち話の一休さんに、こんな話がありますね。普段からの贅沢で、何を食べてもおいしいと思えない足利将軍に、おいしいものを食べさせるために、一休は無礼にも将軍を働かせます。汗をかいた将軍がにぎりめしを食べて「うまい!」と言う。一本取られた!というわけで、お腹がすいていれば何でもおいしいのです。現代人は、間食を減らすだけでおいしい物を食べることができそうです。
2番目は、おふくろの味と書きましたが、私は、日本人の口に合う料理というものが存在すると考えています。味噌汁ですとか、ご飯ですとか、沢庵なんて保存食もそうですね。当社のメニューには、とり雑炊やエビ雑炊がありますが、雑炊やカレーなどは日本でしかみられない日本人の口に合う料理と言えます。
また、同じ日本国内でも食事に対する文化は多種多様で家族ごとにも違います。考えてみると「おふくろの味」とはつまり、「慣れ親しんだ料理・味」ということになりそうです。「非常食は、普段から食べられるおいしい食事が望ましい」と言うときの「普段」は、慣れ親しんでおくことが望ましい食事です。
非常食も、子供の時分からとまでは言いませんが、時々食べておく(親しんでおく)必要があるようです。
災害時には、「おいしい食事」で健康管理対策
3番目については説明は要らないでしょう。皆さんも経験したことがあると思いますが、ガイドブックにベタぼめされたお店で食べる料理がおいしいと感じること。これは情報を食べているとも言えます。「シェフはパリの老舗○○で修行した平井さん、使用する素材は季節に合わせてシェフが選びわざわざフランスから空輸される。これまでも各界の食通達の舌を唸らせてきた伝説のシチュー」なんて、聞いただけでおいしそうです。
フランス料理など、料理を目で食べる、視覚的にも楽しませるなどと言いますが、目で味が分かるわけもなし、あれは視覚情報を処理解釈して「おいしそう」と言うのだと思っています。
こうして考えると、目・耳・鼻・手(触)から入る情報も、「おいしさ」には大事そうです。ですから、非常食を食べるときには紙皿、などとは決めつけないでほしいのです。おいしく食べるための工夫を忘れないでください。脳生理学では、赤い皿は食欲増進、青い皿は食欲減退などと言います。盛り付けも、照明も、音楽も、机の上の一輪の花も、全て食事の一部だと思ってください。
4番目ですが、詳しくは伏木先生の著書や専門書で勉強していただくとして、ここではざっくりとお話しします。脳内物質にβエンドルフィンという物質があります。脳内麻薬(モルヒネ)などとも言われ、快楽(多幸感)を与えてくれます。糖分や油脂分、そしてダシ(グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸等)を摂取するとβエンドルフィンが分泌することが分かっています。
これらが含まれる食品を食べていると、脳内の報酬系と言われるドーパミンという神経伝達物質が分泌され、「もっと欲しい、もっと欲しい」といわゆる「やみつき」になります。お腹がいっぱいなのにアイス(糖分)やケーキ(糖と油)やお酒を飲んだ後にラーメン(ダシと油)が食べられる現象――通称 べつばら!は、こんなメカニズムに因ると思われます。
さて、このβエンドルフィンの分泌は健康にとっても重要です。人間の身体を病気から守る免疫というシステムの活性に、βエンドルフィンが役立っているとの話があります。お医者様も医療施設も機能しない、まして医薬品さえ不足する災害後のストレスフルな環境下でも、風邪一つひかずに過ごすには、免疫システムを活性化することです。「おいしい食事」が病気を撃退します。
食を前に人間は皆平等。非常食も、みんなで食べればよりおいしい
5番目ですが、食卓は皆で囲むのが良いという提案です。動物には共食行動があるのですが、人間にもあります。どうして集団で食事をするのか、私なりに考えてみます。
動物の脳にはミラーニューロンが存在します。(「ミラーニューロン」著者ジャコモ ・リゾラッティ)私がアイスクリームを食べているときに脳のある部分が活性化されます。その姿を見ていたサルの脳でも、同じ部分が活性化されるという現象が発見されました。これがミラーニューロンです。すると、皆で集まっておいしい物を食べていたら、おいしそうに食べる姿を見ている人の脳でも「おいしそうに食べている」が再構築されて、お互いの脳に無限に「おいしさ」がループするのではないでしょうか。
おいしいものが、よりおいしく食べられるのが、集団の食事です。思い出してください、学校給食はおいしかったでしょう。
こうして、おいしいとはどういうことかを考えてきましたが、おいしい非常食とはどんなものか? なぜ必要なのか?――をご理解いただく一助となりましたでしょうか?
おいしい食事とは、普段から食べ慣れておく必要があり、あるいは普段から食べているものであり、食事量は腹八分目で十分として(おなかをすかせて)、見た目や給仕の仕方にも工夫をして皆で食卓を囲むことです。非常時にも常に豊かな食事を考えていること、考えておくことが「おいしい備蓄食」の意味です。
最後に、私たちのサバイバルフーズのメニューにご協力をいただいた料理研究家で、元NPO難民を助ける会の理事として紛争後のボスニア・ヘルツェゴヴィナやカンボジアの選挙に立ち会うなど、世界の災害時の食をご覧になられた林桂子さんが、出版記念会で仰っていた言葉を贈ります。
「食を前にすれば人間は皆平等です。食によってHappyな関係を築くことができます」
災害の食は、人をHappyにします!
■【シリーズ 防災食を考える】