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下元勉が映画『ブワナ・トシの歌』撮影時に遺した格言(俳優)[今週の防災格言381]

time 2015/03/30

下元勉が映画『ブワナ・トシの歌』撮影時に遺した格言(俳優)[今週の防災格言381]


『 窓があるってことが、どんなにうれしいことか、
どんなに大切なことかってことが、わかったなあ。 』

下元 勉(1917〜2000 / 俳優)

1965(昭和40)年に公開された羽仁進監督の映画『ブワナ・トシの歌』(主演:渥美清 東京映画・昭和映画)では、3ヶ月間にわたるオール・アフリカ大陸ロケが敢行された。格言は大西博士役でこの作品に出演した時の感想。

当時、アフリカ撮影行では、寝る場所と食事に常に苦労したそうで、3ヶ月にわたる過酷な撮影環境にノイローゼになるクルーが続出したという。この当時の様子は、主演・渥美清のインタビューからもうかがえる。出典「ぼくのアフリカ」(暮しの手帖 1971 10号(昭和46年2月1日))

曰く―――。

《 3ヶ月の撮影期間、たいへんな距離を動きまわり、臭くて暑くて、食事(土地のものでほとんど食べるものがない)と寝るところに苦労しながらの撮影でおいしい果物や肉も、南国の色とりどりの花も、すべて人の手によって肥料をやって、水をやって、ちゃんと栽培されているものしかない。
花は咲かず、果物は実らず、現地で調達する果物は皮ばかりで実が少ししかなくてしかも美味しくなく、野生の動物の肉も焼くと匂いだけはいいが、一生懸命、獲物を見つけて走ったり、強い動物につかまりそうになって逃げたり、いっしょうけんめい生きてきたんだから、もうコチコチで、硬くて飲み込めない、毎日乾パンみたいなビスケットの弁当を持って食うんですから、味気ない。まいってしまってスタッフもノイローゼになって、月夜の晩にテントから出て、草原に座って泣き叫んだりした人もいた。
ぼくたちはそうはいったって、帰りの切符がちゃんとあって、撮影が終われば帰れる、ということがハッキリしているのに、それでもこうなんだから、戦争中、いつ帰れるというあてもなく、つまりは、へんな島なんかで玉砕していった兵隊さんの気持ちは、どうだったんだろうか、とおもったりしましたね。》

下元 勉(しももと つとむ)は高知県出身の俳優。大女優・山田五十鈴(1917〜2012)の元夫としても知られる。劇団民藝に所属し、舞台「アンネの日記」のオットー・フランク役などで好演。後に民藝を退団し、映画・テレビの脇役俳優として活躍した。1973(昭和48)年のNHK連続テレビ小説「北の家族」ではヒロインの父親役。主な出演作「真空地帯(1952年 山本薩夫監督)」「武器なき斗い(1960年 山本薩夫監督)」「松川事件(1961年 山本薩夫監督)」「キューポラのある街(1962年 浦山桐郎監督)」「青い山脈(1963年 西河克己監督)」「祇園祭 (1968年 山内鉄也監督)」「火宅の人(1986年 深作欣二監督)」「忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年 深作欣二監督)」など多数。2000(平成12)年11月29日、肺炎により死去。享年84。

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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