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木田元が日本経済新聞コラム『災害弱者』に記した格言(中央大学名誉教授)[今週の防災格言354]

time 2014/09/22

木田元が日本経済新聞コラム『災害弱者』に記した格言(中央大学名誉教授)[今週の防災格言354]


『 八十歳にもなり、おまけに病後ともなれば、もうそれどころではない。
大きな災害があれば、ひとたまりもないだろう。 』

木田 元(1928〜2014 / 哲学者 中央大学名誉教授 代表作『ハイデガー』)

格言は、日本経済新聞(2008年9月1日夕刊「あすへの話題」)掲載の随筆『災害弱者』より。

曰く―――。

《 若いころは人一倍体力もあったし、運動能力にもすぐれていたので、泊っているホテルが火事になるくらい平気の平左、乗っている飛行機が墜ちたって生きて還ってきてみせるなどと冗談も言えた。だが、八十歳にもなり、おまけに病後ともなれば、もうそれどころではない。大きな災害があれば、ひとたまりもないだろう。
それだけに、中国四川省や東北地方の相次ぐ地震のニュースはひとごとではなかった。四川省で学校が片っぱしから倒壊し、狙い撃ちをされるように子どもたちが犠牲になったのも痛ましい。老人たちもどれほど死んだことか、想像を絶するだろう。
《中略》
私たちのようなのを「災害弱者」と呼ぶらしい。近ごろ時どき眼にするこの呼び名、幼児や老人や重度の病人や障害者など、災害時にまっさきに犠牲になりそうな者たちを実に手ぎわよくかこいこんで、使い勝手のよさそうな呼び名である。
だが、あまり手ぎわがよすぎて、「後期高齢者」と似たような酷薄さが感じられる。かこいこまれる者たちの気持など思いやる気のまったくない能吏の思いつきそうな言葉だからだ。 》

木田元(きだ げん)は、日本におけるマルティン・ハイデッガー研究の第一人者として知られる哲学者。専攻は「現象学研究」。モーリス・メルロー=ポンティなどの現代西洋哲学の日本語翻訳や、エドムント・フッサールの研究でも著名。
新潟県新潟市に生まれ、幼少期を旧満州で過ごし、戦後は山形県に暮した。3歳のとき一家で満洲へと渡る。旧制新京第一中学校(現・吉林省長春)を卒業し、16歳のとき1945(昭和20)年に広島県江田島の海軍兵学校(現・海上自衛隊幹部候補生学校)に入学。1945(昭和20)年8月6日の広島原爆投下を水泳の訓練中に間近で目撃し、その10日後に日本は敗戦を迎えた。父親がシベリアに抑留され、全ての親戚が満州にいたため、学費が捻出できず旧制高等学校への編入学を断念。一時、父の遠縁の山形県新庄市の親戚宅に身を寄せ、1946(昭和21)に家族が満州から引き揚げてきてからは、母の郷里の山形県鶴岡市へ移り住んだ。長男として抑留された父親に替わり、鶴岡市役所臨時雇、小学校代用教員などで働き、戦後の闇市に暮らしながら家族を養った。1947(昭和22)年に仕事を辞め、山形県立農林専門学校(現・山形大学農学部)に入学すると、間もなく父が無事に帰国し、大学も卒業することができた。その後、ロシアの作家ドストエフスキーに影響を受け、哲学の道を歩むため、東北大学文学部哲学科へと入り直し、大学院哲学科特別研究生課程へと進学した。卒業後の1958(昭和33)年に東北大学文学部助手、1960(昭和35)年から中央大学文学部哲学科専任講師となり、助教授を経て、1972(昭和47)年より中央大学文学部哲学科教授。1999(平成11)年同名誉教授。2014(平成26)年8月16日、肺炎のため自宅のある千葉県船橋市内の病院で死去。85歳。

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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