阪神淡路震災より18年 [編集長コラム]
早いもので、1.17阪神淡路震災より18年が経ちました。
震度7の激震は一瞬にして8割の建物を倒壊させ、直後の大火災により死者・行方不明者6,437人を出す大惨事となりました。
昨年春に出版した拙著「天災人災格言集」にも書きましたが、18年前、私(平井)の家族は激震地となった神戸市東灘区岡本に住んでいました。
遠く横浜にいた私は3.11東日本大震災と同じように、電話網の輻輳(ふくそう)から家族の安否確認が取れない状況が何日も続きました。
幸い家族は無事でしたが、私にとって震災は、日頃の備えや自助(自分の身は自分で守る、自分で考え判断する)をよく考える契機にもなりました。
この岡本の家のすぐ近所にある甲南大学では、強い揺れにより校舎の半数が倒壊し学生16人が亡くなりました。
後に、甲南大学の1号館キャンパスには「常ニ備ヘヨ」と刻まれた石碑が建てられます。
この言葉はその昔の阪神大水害(1938年)で校舎に土石流が襲い生徒ら5人が犠牲となったとき、甲南学園創立者・平生釟三郎氏が復旧作業をする生徒たちを見舞い「自然はこんな災害を必ず幾回も繰り返す」と訓示したときのものだそうです。
二度の災害を経験した甲南大学は「常に備えよ」を教訓として再建を誓います。
そうして二年後に完成した新校舎は、耐震構造を取り入れ、生徒が避難しやすいように廊下や階段が広く設計されました。
また防災計画を見直し、神戸市との連携強化、食糧・物資の備蓄、防災に強い人材の育成など”常に備える”取り組みなどが行われるようになりました。
補足ですが、
18年前のあの日まで「関西に大地震はない」という迷信が語られていました。
歴史をひもとくと、有史以来、数多くの大地震が関西を襲っていたのですが、明治以降に限ってみると、人々の記憶に残るような大地震を経験したことはなかったのでした。
実際、西宮市を例にとってみても、明治4年以降の災害といえば台風と豪雨ばかりで、他にタンクローリーの爆発が一件あるのみだったそうです。
寺田寅彦は「天災は忘れたころに来る」と警鐘しました。
私たちが「大地震はない」と油断した時に、災害は起こるのかもしれません。
だからこそ、(平和な日常の今だからこそ)常に備えましょう、そうすれば災害はなくなると思うのです。
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