先週の日曜日の3月25日、能登半島沖を震源とする大きな地震が能登半島で発生しました。
気象庁による正式名称は「平成19年 能登半島地震」です。
罹災された方々のご心痛お察しするとともに、一日も早い復興をスタッフ一同心より願っております。
さて、東京の永田町にオフィスをかまえる「Seiさん」のスタッフに、実は、能登半島は、石川県金沢市から上京してきた者が一人います。
そのスタッフの彼の実話が(失礼ながら)面白かったので、ここで紹介します。
3月25日、9時42分過ぎ、金沢の実家のお父さんから彼に電話がかかってきたそうです。
金沢の父 『 こちらは大丈夫だからな!! 』
東京の息子「 えっ、何が? 」
本当に交わされた実録・親子の会話です。
実家のお父さんは、今、大きな地震に遭遇され、今や東京にあって実家のことを心配しているであろう息子にいち早く家族の無事(安否)を知らせなくてはと思われたのでしょう。
しかし、残念なことに、その時、東京の息子(Seiさんのスタッフ)は、金沢を揺るがした地震動を東京では感じるはずもなく、仮に、揺れを感じたとしても、それが遠くで大きな地震が発生して震源が、実家に近いだろう・・・ことは想像することはできません。
だから、災害のない場所の住民は、その時、テレビやラジオから流れる速報に耳を傾けることもなく地震があったことすら、全く知らなかったのです。
私も1995年1月17日早朝の阪神淡路大震災のその日、実兄は、震央の真上となる、神戸市東灘区に住んでおりました。
震度7の揺れに遭遇し「うおぉぉ」と言葉にならない悲鳴にも慟哭にも似た声を自ら兄が発声していたその時、神奈川県在住の家族たちは気持ちよく熟睡していました。
地震直後の早朝6時前(5時50分頃)に神戸の兄から電話が入り
『 凄い地震があった。そっちは大丈夫か? 』
と逆に、関東の実家を心配する連絡をしてきました。
兄曰く、未曾有の大地震(東海地震?)が関東地方を襲ったその余波で、神戸が今揺れたのだろう――――と、なぜかその時は思ったのだそうです。
当初は、けが人が出ている模様です、程度の報道しかなく被災地の空撮映像が流れるようになって初めて私は、これはただ事ではない・・・と兄を心配しだした(遅いっ)のが確か6時15分過ぎからだったので、やはり、私が、初めて兄から電話を受けた時には、「 何の話? 」という様に状況を全く理解してませんでした。
当たり前ですが、当事者と、そうでない人災害認識に対する川を挟んだ両岸の温度差は、そういうモノなのです。
この感覚がずっと続いてしまうのが、まさに「対岸の火事(他人事)」で、とても憂慮すべき状態ではないでしょうか。
災害が発生した現地に、知己が全くいない、縁もゆかりもない、という人は当然として、例え、親類縁者がいようとも、このような心理状態には誰でも陥ってしまいやすいものです。
だからこそ、普段の生活の中の方法論として、災害というのはどこに住んでいたとしても、報道に接したりして「その時に感じた」こと、つまり、そこで得た経験、知識などの情報を、整理したり、記述したり、誰か人に話したりなどして、一旦、自己の体験や知恵にまで、それら情報を落とし込んでみることが程度の差はあれ、必要なんじゃないかな・・・といつも思います。
それは、その時に、ふっと、自らが感じた、気持ちや気付きを忘れないためです。
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