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非常時の栄養支援と備え:災害当事者となった歯科開業医、栄養の視点からの備えを考える ~千葉県鋸南町での経過と支援活動~|著者:森永宏喜(歯科医師 森永歯科医院院長)

time 2022/08/08

非常時の栄養支援と備え:災害当事者となった歯科開業医、栄養の視点からの備えを考える ~千葉県鋸南町での経過と支援活動~|著者:森永宏喜(歯科医師 森永歯科医院院長)
台風15号は長期間の停電と家屋損壊をもたらした…:※写真提供(著者)


歯科医師であり栄養療法の専門家でもある著者(森永宏喜・森永歯科医院院長)は、健康を維持するためには「食習慣・生活習慣を考え実践する事が非常時の対策に有効である」と提言します(たとえば、平時からサプリメントに親しみ、身近な武器としておくなど)。
2019年9月・10月にかけ関東・東北などで猛威を振るった台風15号、台風19号では、千葉県内でご自身も被害に遭いながら、診療歯科医として被災地域の支援にあたられました。貴重な被災体験と栄養そして備えについてのご提言をお届けします。


非常時の栄養支援と備え

災害当事者となった歯科開業医
栄養の視点からの備えを考える
~千葉県鋸南町での経過と支援活動~

著者:森永宏喜(歯科医師 千葉県・森永歯科医院院長)

目 次


 

台風15号(房総半島台風)と
台風19号(東日本台風)

令和元年(2019)9月9日未明、小型ながら勢力の非常に強い台風15号(令和元年房総半島台風)は、東京湾から千葉に上陸し関東平野を縦断していった。短時間ながら暴力的な風雨は、千葉県を中心に人々の生活や産業に壊滅的な打撃を与え、19号とその後の大雨がさらに追い打ちをかけた。

筆者は被災の中心となった南房総・内房地区で歯科医院を開業し30年を迎える。本稿ではその被災と支援活動の経過、当事者として考えたことなどを医療者の立場、そして「非常時の栄養支援・備え」の視点からお伝えする。

台風15号は長期間の停電と家屋損壊をもたらした
台風15号は長期間の停電と家屋損壊をもたらした

 

9月8日(日曜日)台風襲来前夜

都内にて、とある研究会のセミナーで講演。いつもなら終了後の懇親会にも参加するが、自宅のある千葉・南房総と都内を結ぶ東京湾アクアラインの強風による閉鎖を懸念し、早々に帰路についた。しかし17時ごろの都内はいつも通りの交通量、首都高速湾岸線に入っても風は余りなく穏やか。拍子抜けした筆者は海ほたるSAで「なんだ、大したことないのかな」と呟いてコーヒーを啜り、うねりが出はじめた海を眺めていた。天気図もチェックしてはいたが、「非常にコンパクトだが、非常に強い」という台風15号の特性と、内房沿岸が台風の進路の東側(西側よりも強風となる)ということへの理解が、実感として不十分だった。

筆者のクリニックは内房地区・鋸南町にある。
筆者のクリニックは内房地区・鋸南町にある。
台風は浦賀水道、東京湾を通り千葉市付近に上陸、関東平野東部を縦断し鹿島灘へ抜けていった

 

9月9日(月曜日)突然の暴風雨、そして被災

19時前に帰宅し、夕食と風呂を済ませても外は静か。しかし念のためスマホ用の大型モバイルバッテリー2個と、普段はコードレス掃除機の電源で使用し、ポータブル蛍光灯にも使える大型リチウムイオン電池2個を充電。またクルマの燃料は、ほぼ満タン状態にしていた(結果的に、この備えが翌日以後の大きな助けとなった)。

夜が更けると風雨は徐々に強くなるが「このまま過ぎてくれれば」という程度。書き仕事などをしているうちに日付は変わろうとしていた。

翌9日になって間もなく、突然の暴風雨。短時間で状況は一変し、電線は唸り声をあげ、家々はきしみ不気味な響きをたてる。頑丈に支えられているはずの信号機のポールが、まるで竹竿のように揺れている。

「これは尋常でない」

房総地区は今まであまり大きな災害がなかった地域。自分の危機感が足りなったのではという後悔が頭をもたげたが、今はただジッとしていることしか出来ない。午前1時ごろからは、夜空に花火が散る如く閃光が走る。「電線が切れたか、これはもうすぐ停電するな」と思う間もなく、目の前の街灯がフッと暗くなり、信号も消えて真っ暗闇に。デスクトップPCは当然使えないが、スマホに目をやるとまだネットは繋がっている。心配してメッセージをくれた友人たちと「いやぁ停電だよ」とやりとり。遅くとも明朝には復旧するものと楽観していた。

雨戸のある12畳の寝室の真ん中に布団を敷き、ラジオで台風情報などを確認するがさすがに眠気は消し飛んでいる。風呂上がりに着ていたパジャマからいつでも外に出られる服装に着替え、つま先に鉄板の入った安全靴を枕元に置いた。台風というより、地震のために備えていたものだ。用意してあったポータブル蛍光灯のおかげでスムーズに動くことができた。

午前2時ごろ、階下のダイニングから「ガシャン!」とガラスの割れる音。明かりを持って降りていくとキッチンの小窓が割れて直径10センチほどの穴が開いている。周囲の床にはガラスが飛散。雨量はそれほどでなく吹き込みも少なかったため、その場で対応するより安全を優先。その後寝室に戻り、3時ごろまでは不安を抱えつつ天井を見つめていたが、いつの間にか浅い眠りに落ちた。気づいたのは午前五時前、その時には風雨はおおむね収まっていた。後で知ったことだが、最大瞬間風速は毎秒60mに迫るものだったという。

ひとまず自分に怪我がなかったこと、自宅の他の被害もベランダの手すりや樋、数枚の瓦(これは後で気づいた)の破損程度で軽微なことに安心すると当然、500メートルほど離れた駅前のクリニックのことが心配になってきた。

 

医院の被害状況と初動

台風一過、医院の被害に呆然

発災から2週間ほどの間、亀裂の入った窓ガラスをテープなどで補修した車両を沢山目にしたが、幸いなことに私のクルマは無傷だった。医院に駆けつけ、駐車場から周囲を見渡す。そこには見たこともない光景が広がっていた。

当院周囲の様子
当院周囲の様子
当院周囲の様子
以上3枚、当院周囲の様子。千葉銀行鋸南支店は9月一杯、営業を停止していた

半分近くの瓦が無残にはぎ取られた家、確かトタン屋根であったろう、それが丸ごと無くなり骨組みだけが見えている家、壁までもが破られて内部が丸見えの建物。そんな建造物に囲まれた中にあって、築10年と比較的新しいといっても当院だけが無事だとは考えづらかった。

「ウチは、どこまで壊れているのか?」

駐車場には大小の、夥しい量のガラス片や、明らかに当院のものでない廃材状の木片が散乱している。正面に立って見上げると、答えの一部はすぐに出た。正面玄関の真上、2階の医局兼セミナールームの大きなガラス窓(約2m四方)が、パッと見には気づかないほどきれいに、すっかり消し飛んでいたのだ。暴風雨のさなかに破れたのだろうと考えると内部の状況はある程度想像でき、深いため息が出た。

通用口を開けて内部に入る。診療スペースが見える位置まで進むと、床の色が違う。本来クリーム色の床材はもっと暗い色をしていた。吹き込んだ泥や細かな木片、瓦の破片などがムラなく床に張り付いていたのだ。

診療室の床一面、泥と飛散したゴミが。矢印は瓦片。破れたガラス面から3.6m飛び込んできていた。
診療室の床一面、泥と飛散したゴミが。矢印は瓦片。
破れたガラス面から3.6m飛び込んできていた。

左を見ると、当院で一番高い、約4.5mの壁の天井まではめ込んであったガラスは綺麗に破れ、そこに寄せて設置していた体組成計は半分外に飛び出していた。近づいて見上げると、瓦が大きく剥がれた隣家の屋根が見える。ガラスを破壊したのはそこから飛来した瓦だった。

診療スペースのガラス(天井まで約4.5m)は飛来した瓦片により砕け散った
診療スペースのガラス(天井まで約4.5m)は飛来した瓦片により砕け散った

風雨はもちろん、床だけでなく壁にも降りかかり、あちこちで壁紙がふやけ浮き上がっている。診療用の歯科ユニットも、カルテ入力に使うパソコンも水びたしになっていた。

2階に上がると、破れていたのは大窓だけでなく、脇のサッシ窓も同様だった。こちらは、ガラスがないのはもちろん、幅のあるアルミフレームが見事に変形していた。

テーブルやホワイトボードも折り重なって倒れていて、物入れの扉は開いてしまい中に収納してあった書類はずぶ濡れ。そこに泥とガラスが散乱している状態。

2階の医局兼セミナールーム
2階の医局兼セミナールーム。
中央の大きなガラスは全て消し飛んでいる

これらの状況を目の当たりにしたときは一時途方に暮れたが、「まず、やれることをしないと」と思い直し、出勤可能なスタッフと共に片づけを開始。台風一過の残暑の中、皆で汗だくになりながら丸二日をかけ、医院内外の泥や飛び散ったガラス片、瓦礫をおおむね取り除くことが出来た。その間医院や、私とスタッフたちの自宅に断水がなかったことが本当に幸運だった。

しかし、停電が続いているため大型の診療機器の動作確認ができない。丸5日に及ぶ停電が解消しチェックを終えて診療可能となったのは14日のことで、9月の第二週は丸々空費された。結果的にはレントゲンなど大きな設備は無事だったが、雨をかぶった数台のノートパソコン、屋外に放り出された体組成計など機器が故障、修理または廃棄を余儀なくされた。

 

通信手段を確保!

「翌日には復旧するだろう」とタカをくくっていた停電は解消しない。機器の業者に連絡し相談する必要があるが、携帯も発災翌日の朝には通じなくなっていた。携帯の基地局が非常用電源を使い果たしダウンしたのだろう。幸い、木更津方面への一般道は通行可能だったので「携帯が繋がるところまで行ってくる」とスタッフに告げクルマを出した。

走り出して5分もすると国道は海沿いを走るようになる。車内で充電をはじめたスマホの画面になにげなく目をやった私は不思議なものを目にした。消えたはずの電波マークがピクピク動いているのだ。

「ん!?」

見晴らしの良いビーチ沿いの駐車スペースにクルマを停め、じっくり眺めてみる。普段なら4本立つ電波マークだが、2~3本立っているではないか。

「これは・・??」

結論は一つしかない。ここからは浦賀水道を隔てて対岸の久里浜の発電所の煙突、さらに遠くには横浜みなとみらいの高層ビル群などが望める。直線距離なら木更津よりもずっと近く、遮蔽物は全くない。海を越えて電波が飛んできてくれているのだった。

その時から基地局の復旧(停電復旧よりも遅かった)までの1週間弱、日に数度のビーチ詣でが続くことになった。海岸に張り付いていることはできないので「すぐに折り返し連絡」は不可能。音声通話は運がよくないと使えない。携帯のショートメッセージ、フェイスブックメッセンジャー、ラインなど相手に合わせた方法で連絡をとることが出来た。ちなみにこの通信可能スポット、停電が続くにつれ徐々に知れ渡り、クルマで混雑するようになった。

 

被災者支援を開始

9月11日(水曜)被災者支援に始動

発災3日めとなり医院での対応はひと段落、あとは電気待ちの状態となった。破れたガラス窓は施工業者が発災翌日には塞いでくれていた。厚さ3~4mmの薄いベニヤ板や防水シートをテープで張り付けたもので非常に心細いが、業者も山のように殺到する依頼にパニック状態であり、それ以上の対応を望むのは不可能だった。もちろん、「保険請求のために修理見積を」などと言える状況ではない。

台風15号被災後、応急修理後の当院。破れたガラスをべニア板で応急補修している。19号襲来の前日にさらに補強工事を行った
台風15号被災後、応急修理後の当院。破れたガラスをべニア板で応急補修している。
19号襲来の前日にさらに補強工事を行った。

幼稚園や小学校、学童保育も休校のため、ママさんスタッフは子供同伴で出勤してくれていた。キッズルームがスタッフ用の保育スペースに早変わり。待合室に響く無邪気な声には皆が癒された。
海岸で情報収集していると、停電だけでなく断水世帯も少なくないという。正直なところ、自分たちのことがひとまず落ち着いたこの段階になって初めて「患者さんたちはどうしているか、行政はどんな動きをしているのだろう」ということに関心が向くようになった。

東北大学出身の私は、東日本大震災発生直後から被災地に赴き、避難所近くの集会場での口腔内チェックや指導、支援物資の調達や配布依頼、被災地で活動した歯科関係者からの情報収集などの活動を仲間とともに継続的に行ってきた。その後の熊本地震などでも物資調達に動いた。今回被災するまでは医院待合室で「東日本大震災ふくしまこども寄付金」への募金活動も続けていた。「いま自分たちが置かれている被災のステージがどの段階か、その時に歯科としてとるべき行動は何か」ということがおぼろげながらでも分かっていたのは、不幸中の幸いだった。

情報は「ひと」が握っている。頭に浮かんだのが町の保健福祉課のO保健師、社会福祉協議会が運営するデイサービスのH看護師兼ケアマネージャー、入所者への講話などで交流のある民間通所サービスのA社会福祉士など。彼らとは行政の会議や患者さんを通じてこれまでも情報のやり取りをしてきた。町の災害対策本部に立ち寄ると同時に、彼らから情報収集することを思い立った。

 災害対策本部は鋸南町役場庁舎2階に設置されていた。オープンカウンターの中を覗くと、小さな町のこと顔見知りの職員も少なくない。当院の患者さんの顔もチラホラ見える。

「森永歯科です、お疲れ様です。避難所は設置されていますか?支援物資の受け入れ状況はどうですか?」忙しく動き回る職員をつかまえて問いただす。「避難所は、今は町内3か所です。避難している方は20人程度。多くの人は、昼間は外出しています。支援物資は鋸南小学校体育館に集積所をつくりました」

「O保健師が戸別訪問を開始しています」という情報も得た。対策本部を出ようとしたところで偶然、彼女と出会う。

「屋根が飛んで大変な方が多いです」
「入れ歯とか、食べる方はどうですか」
「すみません、まだそこまで聴けていません・・」
「そうでしょうね。これから口の中が不潔になると誤嚥性肺炎とか心配です。つてがあるのでケア用品などをお願いしてみますね、ビタミンとかのサプリメントも」
「よろしくお願いします」

早足で去っていく彼女の背中を眺めながら「歯科の出番は、次の段階だな」ということを再確認する。

断水の地区も少なからずあり、被災から相当期間経過しても飲料水支援の需要は存在した
断水の地区も少なからずあり、被災から相当期間経過しても飲料水支援の需要は存在した

100mほど離れた小学校の集積所で届いた支援物資をチェック。水などの生活用品が多いが医療関連物資は非常に少ない。歯ブラシや歯磨剤などは「個人レベル」で送られてきたもののようで種類も不ぞろい、量も少ない。小児用歯ブラシや義歯関連用品は皆無だった。この時点では情報も錯綜し宅配便などの物流は不安定で無理もないことだったし、「リクエストしない限り、小児用歯ブラシがまとまって送られることはほとんどない」というのはこれまでの支援活動で経験済みだった。

その足で、クルマで10分ほど離れた保健福祉課に向かう。職員から話を聴くと、社会福祉士Aさんが運営している2か所のデイサービス施設の1か所は当院と同じくガラスが破れ使用不能で、ビーチ沿いのもう一つの施設で何とか運営を続けている状況とのこと。

いったん医院に戻り、これまでの情報を総合して対策を考える。

  • 津波や地震と違い、家屋が倒壊・流出している事態はない。義歯喪失などの事案は少ないだろう。急性期医療の需要は多くないと思われる。
  • 口腔衛生にまで関心が及んでいない状況が濃厚。ケア用品の配布などを通じての啓発活動が、誤嚥性肺炎の防止などによる今後の住民の健康レベルの低下を阻止するために必要。また現状で要介護状態やフレイル(虚弱状態)である住民がその状態で踏みとどまれるような対策が急務。
  • 住民だけでなく、行政や建築業者なども疲弊している。彼らへのケアもできれば行いたい。

まず考えたのは、これまで各地での支援活動を共にしてきた仲間に状況を伝えることだった。実際には私から連絡するより早く、彼らからメッセージが届いていたのだが。

「森永先生、大変ですね。お見舞い申し上げます。医院やご自宅は大丈夫ですか」
「今どんな状態ですか?必要な物資があったら教えてください。すぐ手配します」

私の方から「この物資を送ってくれ」とお願いする以上に、彼らは先回りして動いてくれた。「では小児用ブラシ必要ですよね。サイズはこちらで見繕って送ります」「義歯洗浄剤ないですよね。義歯用ブラシはどうですか?」という具合に差配が進んでいった。目の前でなく、先の需要まで見越して物資を調達する対応はさすがだった。

 

外来での被災者支援

開業医である私は、地域に対する関与と同時に、いま拝見している患者さんへの対応が必要になる。象徴的な事例をご紹介する。

93歳男性Fさん、元学校長で一人暮らし。自家用車で来院し、スタスタ歩いてユニットに座られる。認知機能低下ほとんどなし。毎日の運動は欠かさず「元気なうちから気を付けないといかんのだが、みんな分らんのだよねぇ」とおっしゃる、健康寿命維持のお手本のような方。2~3か月に一度の間隔で定期検診に来院されていた。ピッタリと合った義歯を使われ、全体的なクチの状態はまずまずだった。

診療再開初日に来院されたFさんは、

「瓦が飛んじゃってね・・・、ブルーシート掛けてもらったんだが雨漏りするんだよ。息子たちはみんな東京で頼りにならんし」

と肩を落としていた。上下のくちびるは広範囲に荒れ、かさぶたで覆われていた。義歯を取り出すと食べかすが大量に付着している。綺麗だった舌の表面は黄色く分厚い付着物(舌苔、ぜったい)で覆われていた。健康レベルが急落しているのは明らかだった。

「Fさん、だいぶお疲れですね・・。前に摂って頂いたサプリメント、支援物資で頂いたんです。持って帰って下さいね」

当院では以前より、よりレベルの高い健康を維持するために栄養を重視し、食事指導やサプリメント摂取を積極的に勧めている。Fさんは以前、私の勧めに応じてアミノ酸サプリメントを摂取した経験があった。

「ああそう、では有難く頂きますね」

今回私が選択したのは顆粒状のアミノ酸に加えて、マルチビタミン・マルチミネラルの錠剤で計3種類。サプリメント摂取の経験がない方にいきなり勧められる量と種類ではないが、Fさんなら問題なく摂取して頂けると考えた。医療従事者の仲間から送られてきたメディカルサプリメントの品質は保証済みだ。

約2週間後、Fさんは再び来院されたが、くちびるの荒れはかなり収まり平常状態に近づいていた。全身的な不調をきたす前に、歯科として栄養面の対応ができた事例と考えている。

Fさんに提供したアミノ酸・ビタミン・ミネラル製剤
Fさんに提供したアミノ酸・ビタミン・ミネラル製剤。
被災前に当院での処方履歴・摂取経験があったことが幸いした。

 

在宅での水際対応

口腔はその方の状況が如実に現れる。当院でも訪問診療で定期的にお口の管理を行っている患者さんがいる。

93歳男性Sさん、教育畑一筋に歩まれた方。10年以上前から当院に通ってくださっていたが、半年余り前に入院、急性期病棟を退院され在宅となった。奥様は今も当院に通院されている。訪問スケジュールと台風被災が折悪しく重なり、約2週間ぶりの訪問となった。

国道を折れ、同伴した歯科衛生士とともにクルマで谷沿いを登っていく。5分ほどの距離だが、ほぼ行き止まりのため道は非常に狭い。ご自宅前に辿り着き呼び鈴を押すが応答がない。

「あ、停電か…。ごめん下さい!歯医者です」
「こんな時にすみません」

奥様は恐縮している。ご挨拶が済んだあとさっそく、衛生士に指示して口腔内の確認にかかる。Sさんは意識もハッキリしており一見元気そうだったが、口の中を歯ブラシでさらったところ、ゴッソリと食べかすが出てきた。今までにない量だ。
衛生士がお口のお手入れ(口腔ケア)を進めていくが、歯ぐきからの出血量が台風前の数倍の印象。

「停電で、ベッドが動かないんです。これまでは体位変換の時などに多少は自分で動いていたんだけど・・」と奥様。寝たきりの状態が一層深刻化している。

飲み込み(嚥下)の障害はほぼなく食事を摂取されており、口をゆすぐことも可能だが、ベッドが動かず頭の角度などを変えられないために口腔ケアは困難を伴った。

Sさん宅にて口腔ケアを行うC歯科衛生士
Sさん宅にて口腔ケアを行うC歯科衛生士

「院長、どうしましょう」

何とかケアを終えた衛生士が困った顔で問いかけてきた。

「とりあえず、停電が解消するまでは訪問回数を増やすしかないな」
「奥様、支援物資で頂いた保湿ジェルがあります。口の中が乾燥して不潔になると肺炎になりやすいので使いましょう。それからビタミンとアミノ酸のサプリメントを頂いたので、慣れない味かもしれないけど一生懸命摂ってもらって下さいね。お肉やお魚を沢山食べたのと同じだから」

医院に戻るクルマのハンドルを握りながら「Sさん、在宅を続けられるだろうか」との懸念が頭に拡がっていた。これで肺炎などを発症すれば即入院だろう。その後また自宅に帰れるかというと、奥様の負担を考えれば疑問だった。

「歯科として、やれることをやるしかない」

そう開き直るしかなかった。

幸いなことに、12日間続いた停電をSさんは何とか持ちこたえた。歯ぐきからの出血も減り、以前に近い状態まで回復した。しかし食事の摂取量などは以前より減少した印象がある。支援物資として提供したビタミンとアミノ酸のサプリメントはほとんど利用されなかった。Sさんは寝たきりになってからはもちろん、お元気な時でさえもサプリメント摂取の経験がなかったことが原因の一つと思われる。災害時の栄養療法の難しさを改めて思い知らされるエピソードとなった。

 

本格的な診療を再開

治療だけが私たちの役割ではない

発災後9日目、連休明けの17日に診療を本格的に再開したが、まだ電話が通じず連絡のつかない方や、被災の片づけなどでキャンセル率は普段の数倍の状態。機器は通常通り使えるので診療内容に制限はないが、緊急性のない治療は延期される方も少なくない。しかしその分、受診された方のお話を伺う時間はある。

ほとんどの方が自宅・勤務先・農林水産施設などに被害を受けており、まずその状況の傾聴から始まる。「話を聴いてもらった」だけで少しは楽になる方がいるのも事実。

「被災のお話をしっかり聴くようにしていますよ、皆さんもそうしてね」というマネージャーのWの言動は若いスタッフたちにも伝播していった。支援物資として頂いた疲労回復・ストレス対策に有効なビタミンC・B群のサプリメント提供も非常に喜ばれた。発災2か月近くなる10月下旬でも需要は減るどころか増加傾向であった。コミュニティの疲労・ストレスがジワジワと増えていたことの証左であろう。

当院受付で配布したビタミンC・B群のサプリメント
当院受付で配布したビタミンC・B群のサプリメント。
なじみのある栄養素であり、ストレス対策にも有効。
個包装タイプで衛生面からも安心

 

栄養支援の必要性と難しさ

食中毒を出さないこと、運搬の容易性などが重視される災害時の支援食は保存食が基本となる。そして生命維持の最優先事項は3大栄養素(糖質・脂質・タンパク質)によるエネルギー確保であり、また義歯使用者など咀しゃく能力が低下している被災者にも配慮した最大公約数的なものとなると、あまり咬まなくても摂取できる、加工度の高い糖質が中心とならざるを得ない。これは東日本大震災をはじめ筆者が過去に関わった各地の災害でもそうであったし、今回、自身が被災者となった状況でも同じであった。

発災初期の支援食では、特にタンパク質、ビタミン・ミネラル、食物繊維の摂取が困難となる
発災初期の支援食はこのような保存食しか入手できない場合も多い。
特にタンパク質、ビタミン・ミネラル、食物繊維の摂取が困難となる

この状態が数日以上続けば、栄養素の偏りによる問題が生じてくる。エネルギー源が糖質に極端に偏ることになり、脂質が摂取できたとしても酸化しているリスクが高くなる。新鮮は肉や魚など、良質なタンパク質を摂取できる見込みはさらに低いであろう。ベースとして筋肉減少(サルコペニア)がある高齢者にとって、被災による運動不足とタンパク質不足はADL(日常生活自立度)や要介護度の悪化に直結する。

生鮮品が摂れないということは、ビタミンやミネラルの不足もきたしやすい。これらは3大栄養素を適切に代謝するための補酵素として不可欠であり、エネルギー産生にも支障をきたすことになる。

被災の現実は身体的な脅威を増すだけではない。生活環境の激変や将来への不安は精神的にも大きなストレスとなり、それに打ち勝とうとして抗ストレスホルモンのコルチゾールの消費が増える。コルチゾールは副腎で生成されているが、その過程でビタミンCなどの栄養素が不可欠の存在である。また精神的ストレスを含む被災の環境は大きな酸化ストレスとなるので、抗酸化力のある栄養素は瞬く間に消費され枯渇してしまう。また食物繊維の不足による腸内環境の悪化がそれに拍車をかけることになる。

 

非常時の栄養療法 今後の課題

筆者はかねてより歯科を出発点にして健康寿命を延ばしていくことを目指し、様々な取り組みや情報発信を行っている。体力が落ちて消化吸収能力が落ちている時こそ、食事のみで体力・気力を維持するのは困難となる。とりわけ非常時には、生きるためのエネルギーをしっかりと生み出して体内の代謝をスムーズに流すために、良質のメディカルサプリメントの摂取が非常に有効な手段となる。

自治体や福祉施設の担当者と相談し、このような状況で不足しがちなビタミンC、ビタミンB群、各種ミネラルなどのサプリメントを全国の友人たちからの支援物資として提供することが出来た。これは一定の成果である考えている。

しかし同時に課題も意識することになった。被災者の健康状態を評価して支援物資を受け入れ、サプリメントによる適切な支援を行うためには、そのエリアに食事や栄養・サプリメントの知識と指導の経験がある専門家が必須であることがハッキリした。一般市民にとっても、医療者にとっても平時からサプリメントを身近な存在、使える武器にしておくことが、非常時にモノをいうのである。

被災地にサプリメントをいきなり送付しても、現場の担当者は困惑するだけで有効に使われることはない。普段からそれを活用している専門家の助言が不可欠となる。言うなれば、生活習慣病になってから後追いで治療を受けるのではなく、食習慣、生活習慣を通じてより質の高い健康を獲得するために何をすべきか、普段から考え、実践することが求められるということ。筆者はそんな医療従事者と一般市民を全国に増やしていく啓発活動に微力を尽くしていければと考えている。

 


著者:森永宏喜(もりなが・ひろき)


歯科医師。森永歯科医院院長。
1963年 千葉県生まれ
1988年 東北大学歯学部 卒業 東京医科歯科大学歯学部 第一口腔外科 入局
1992年 医院を継承(千葉県鋸南町)
2009年 近隣に移転開業
2013年 点滴療法研究会(JCIT) 高濃度ビタミンC点滴療法 認定医
2015年 米国アンチエイジング医学会(A4M) 認定歯科医師(ABAAHP)/ 日本抗加齢医学会 専門医
2019年 JCIT ボードメンバー
日本アンチエイジング歯科学会 常任理事・認定医

・主な著書
「歯周病はすぐに治しなさい!」(さくら舎 2020)
「歯科からはじめるアンチエイジング栄養学」(デンタルダイヤモンド社 2019)
「全ての病気は口の中から!歯が痛くなる前に絶対読む本」(さくら舎 2016)など

・森永歯科医院 Webサイト:https://www.morinagadc.com/

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