ある時、王様に毒矢が射られた。
倒れ苦しむ王様の傍らで、その場に居合わせた重臣たちは「犯人は誰だ?」「どこから射たのだ?」などと、ただ議論を重ねた。
王様は間もなく死んでしまった。
犯人探しより、早急に毒矢を抜き治療を施すべきではなかったのか?
世の中の大事故の多くは人間の犯す「うっかりミス」が原因だと言われている。
これらはヒューマンエラーと呼ばれる。
例えば、自動車事故ではハンドル操作の誤りであったり、ブレーキとアクセルを間違えてしまったりと、ちょっとした運転者のミスが事故原因であることも多い。
この考えのもと、「人間はミスを犯すものだ」ということを前提にして、「フェイルセーフ」という安全の方法論が欧米で生まれた。
自動洗濯機の脱水漕の衣類に腕や指が絡まる事故が多発したのを受けて、今では、フタを開けるとモーターが自動停止するように設計されている。これがフェイルセーフである。
この安全の方法論が優れているのは「 危険:脱水している時に指を入れないで下さい 」とフタに注意書きを添える抑止効果よりも「 そういう事故もあり得る 」と予め想定し設計段階で対処してしまうことが、危険防止の意味で遥かに効果が高いという点にある。
しかし、災害や大事故のように複雑高度な社会システムが関わってくるとその安全設計は単純ではない。
そこでフェイルセーフの応用技となる。
2001年2月9日、ハワイ沖合いを航海していた宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に、アメリカ海軍の潜水艦「グリーンビル」が衝突し沈没するという事故が発生した。
加害者であるはずの米潜水艦のワドル艦長は罪(刑事責任)を問われなかったが、日本では、なぜ米国は責任を問わないのかと世間で大きな非難を浴びた。
欧米ではこの様な複雑な大事故が発生すると、国家の安全委員会が組織されて原因の究明にあたり、事故当事者の刑事責任の追及(犯人探し)より事故の再発防止策を優先して調査する。
そうして、今後、同様の事故が二度と発生しないように、全体のシステムをドラスティックに改革してしまう。
つまり大規模なフェイルセーフが施されるのである。
なぜ刑事責任が問われなかったかというと、これは一種の司法取引で、国家が「 責任を一切問わないないので証言は全て嘘のないように 」と保証したからである。
この様な事故の場合、当事者に責任を追求しようとすると黙秘権や弁護士に相談といった容疑者の人権問題や裁判となるため、ほぼ確実に原因の究明ができなくなってしまう。
結果、事故発生のメカニズムが不明のまま、教訓も生かされず、再発防止策も施せないかもしれない。
しかし、被害者や遺族の心情を考えればこれは非情にも思える。
だからこそ、こうした万人のための安全策や危機管理について、国家で法律や基準を作り、国民一丸となって厳正に運用すべきではなかろうかとも思う。
ところが日本では、大きな事故で怪我人や死者まで出てしまうとたちまち「 責任は誰だ 」と責任問題となりやすい。
もし、従来の日本のシステムで潜水艦衝突事故を究明しようとしたら、恐らく事実が明らかになるまで数年という長い月日を要したであろうし、事実が明らかになった頃には、ほとんどの人たちが事故があったことすら忘れ去っているかもしれない。
大事故や災害は「 得られた教訓をいかに生かすのか 」という再発防止が大事である。
ここで難点なのは、教訓は皆で共有できなければ意味がないことだ。
自分が火災にいくら気をつけていたとしても、隣人が何も備えていなければ、隣人の火災に巻き込まれてしまうかもしれない。
事故や事件の報道で「うっかりミス」「お粗末な対応」との見出しが目立つ。
でも再発防止という安全の観点からは「うっかりミスやお粗末な対応となった原因は、そもそも何だったのか?」を早急に見つけて、一日も早くフェイルセーフを施すことが最重要なのではないかと思う。
■「安全論・危険論」「防災論」「安全神話」に関連する防災格言内の記事
-「安全」を考える(2004.9.30 編集長コラム)
-日本の防災制度(2004.11.24 編集長コラム)
-教訓(安全神話とは何か)(2005.1.17 編集長コラム)
-苛政猛於虎也(苛政は虎より猛なり)(2005.04.13 編集長コラム)
-小田原評定(2006.1.29 編集長コラム)
-災害に備えるということは?(防災論事始)(2007.10.3 編集長コラム)
-毒矢の教え(フェイルセーフ論)(2010.7.30 編集長コラム)
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