『 思い切った対策を
果敢に実行することが、
地震対策の場合、とくに必要だ。 』
秦野 章(1911〜2002 / 内務官僚・警視総監 政治家・法務大臣)
曰く―――。
《 思い切った対策を果敢に実行することが、地震対策の場合、とくに必要なんだ。それが民主主義の社会では、なかなかやれない。
考えてみれば、大きな都市政策が行われたのは、日本でいえば戦国時代の大名とか、一種の独裁権力があったときなんだな。
しかし・・・いっぺんに何十万人も死ぬんだよ。大変なことだよ、これは。
ほんとうに、そういう痛い目にあわないと、できないんだろうか。
いや、民主主義の社会だってやれるはずなんだ。ただ、それには歴史の重みってやつを、思い知る必要がある。民主主義を本当に機能させるのは、歴史の重みなんだ。都市政策というと、すぐ空間だけを考えてしまうが、時間の軸で見ることが必要なんだ。 》
格言は災害心理研究会編「地震パニック(昭和55年 サンケイ出版)」より。
秦野章(はたの あきら)は、東大閥の根強い警察官僚にあって、私大(夜間)卒業、刑事課長として拳銃を片手に現場で暴力団摘発に腕をふるい神戸の治安回復に尽力しながら、安保闘争や学生運動が盛んな1960年代に警視庁トップの警視総監となった人物。
「乱世の名総監」と奉られるほどの辣腕をふるった後は、佐藤栄作首相の要請で東京都知事選に立候補(落選)、自由民主党公認候補として政治家(参議院議員)となり法務大臣を歴任した。晩年は、持ち前の歯に衣ぬ着せぬベランメエ口調の政治評論家として活躍した。
1911(明治44)年10月10日、神奈川県藤沢市に生れる。
1929(昭和4)年に父親が経営する製糸工場が倒産し、旧制藤沢中学校を中退。鎌倉の酒屋や横浜の貿易商で働きながら苦学して、旧制日本大学専門部政治科(夜間)を1937(昭和12)年に卒業した。
1939(昭和14)年、高等文官試験に合格し内務省に入省。香川県商工課長、茨城県警警務課長、内務省警保局、大阪府警刑事部長、警視庁刑事部長、警察庁警務局長などを経て、1967(昭和42)年、私大出身者としては初の警視総監に就任し、警視庁トップとして学園紛争や70年安保闘争をめぐる警備で陣頭指揮を執った。
1971(昭和46)年には自民党の要請で東京都知事選に出馬し、美濃部亮吉と争うも100万票を超える大差で落選。1974(昭和49)年の第10回参議院議員選挙で神奈川地方区から出馬し当選、以降、2期12年を務めた。
1982(昭和57)年の第二次中曽根内閣で法相に就任。自民党では無派閥であったが田中角栄元首相に近い立場から、法相時代の「ロッキード裁判(1983年)」では指揮権発動問題やマスコミ非難、田中擁護発言などを行い物議を醸した。1986(昭和61)年7月の選挙で立候補をせず政界を引退。
2002(平成14)年11月6日、腎不全のため死去。91歳。死後、従三位叙位。
台湾大綬景星勲章(1986年)、勲一等瑞宝章受章(1987年)。
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