東日本大震災より2年
[編集長コラム]
未曽有の震災から2年が経った。
震災から3週間ほど後の4月初めに、日本防災士会先遣隊に同行させていただき、現地消防OBと共に大津波が襲った宮城県の海岸沿いを視察した。
住宅地、商業地、工業地、など夫々土地ごとに被害の様相が異なっていたのが印象的だった。
海岸沿いの防潮林(松林)が根こそぎ津波でなくなったため、山元町や新地町などでは海風が強く、舞った砂が顔に当って痛かった。
坂元駅の近くでは、車で走行中に大きなトタン板のようなガレキが衝突し車体がへこんだ。
汚泥やガレキで溢れかえった危険な中を賢明に活動されていた自衛隊員に頼もしさを覚え、一方であまりに広範囲の被災地に、10万人の自衛隊員でさえも少数でしかないことを思い知らされた。
ある避難所(まだ仮設住宅は建設中)では「どうにかして欲しい。気が狂いそうだ」と語る被災者に会った。
励ましの言葉も見つからず、ただ、言葉に詰まった。
幹線道路の多くが水没し、道路状況も悪く、限られた日程を思ったように移動することができずに、当初予定していた大船渡(岩手)の友人には会うことが叶わず。残念でならなかった。
自身も被災し津波で孫を亡くされた現地の元消防職員が「天国と地獄」と比喩していた。
住所番地がたった1番違うだけで、たった数メートル場所が異なるだけで、一方は津波にのまれ、他方はほとんど被害がなかった。そんな家をたくさん見た。
被災地の中心部であっても、被害にほとんど遭わなかった家、軽微だった家、家が流されてしまった人、そして亡くなった人、たくさんいる。
不運であったと思う一方で、彼らを分けたものを運だけにはしたくない。
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理,備蓄食