大地震や豪雨などの自然災害の際、身を守るために役立つのが過去の災害での経験とそこで得た教訓です。しかし、それらをもってしても私たちは新たな災害に際して必ずしも安全を確保できるわけではありません。なぜなら、時にそれらの経験や教訓が誤った判断の原因になってしまうケースもあるからです。
はたして私たちは災害に直面した際、何を指針として行動すべきなのか――。災害時における経験と教訓の活用とその課題について、2017年7月に起きた「九州北部豪雨災害」を例に考えてみましょう。
降水量500ミリ。記録的豪雨の経緯
2017年7月5日から6日にかけ、福岡県や大分県など九州北部地方で記録的な大雨が発生しました。原因は対馬海峡付近に停滞していた梅雨前線に湿った空気が流れ込んだこと。発達した積乱雲が何重にも重なり合ってできた線状降水帯(※)によってもたらされた豪雨の総降水量は500ミリを記録。わずか1日で7月の月降水量平年値を超える記録的豪雨となり、2017年7月19日付で「平成29年7月九州北部豪雨」と命名されました。
福岡県朝倉市などで雨量の観測記録を更新したこの豪雨が残した爪あとは甚大でした。堤防の決壊、大量の土砂や流木により、死者・行方不明者41人、電気・水道などのライフライン断絶が約6,400戸、家屋の全壊289件、半壊1,083件、床上下浸水が1,650 件。発災直後には2,000人以上が避難生活を余儀なくされました。
※強い雨を降らせる積乱雲が線状に並び、雨域が幅20~50km、長さ50~200kmになるものが線状降水帯と呼ばれています。
一部で生かされた過去の経験と教訓
大きな豪雨災害となった九州北部豪雨でしたが、一方で過去の教訓が生かされ人々の安全に役立った面もありました。そのひとつが被災地の各自治体と自治会等が一体となって取り組んできた災害へのさまざまな備えです。
例えば、被災地である朝倉市では2011年度から各地区の「自主防災マップ」の作成に着手。地域の役員と住民が意見を出し合いながらワークショップを行い、2014年度に市内の全地区の自主防災マップで作り上げ、各世帯に配布していました。
また日ごろの避難訓練で培った適切な避難行動や、近隣住民への積極的な声かけも被害の軽減に寄与したと考えられます。
経験に頼った誤った判断で被災したケースも
九州北部豪雨ではこれらの防災活動が一定の成果を挙げた一方で、災害の準備をしていたにもかかわらず被災してしまったケースもありました。それが、筑後川右岸の支流の堤防決壊がもたらした浸水などの被害です。
この地域では降雨状況や水位観測といった入念な情報収集に基づいた避難勧告が行われたにもかかわらず、避難行動がとられず被災してしまったのです。一体なぜなのでしょうか?
原因のひとつが特定の経験に基づいたことによる判断ミスです。
実はこの地域には2012年7月にも同様の豪雨(「平成24年7月九州北部豪雨」)がありましたが、その際筑後川支流の赤谷川には被害がありませんでした。この経験が人々の心に「前回も大丈夫だったのだから今回も…」という安心感を醸成してしまったのではないかと考えられます。
本流に気を取られるあまり、支流が後手に
しかも、朝倉市ではこの「平成24年7月九州北部豪雨」の際、筑後川本流の水位上昇によって大きな被害を被った経験があり、本流の水位に注意を傾けすぎていました。そのため水位計が設置されていない支流の状況確認が後手にまわり、住民からの通報以外に危険を察知する術がなかったのです。
また避難勧告が発令されたタイミングでは一部地域ではすでに河川氾濫が発生しており、住民の避難行動自体が困難になっていた可能性も考えられます。行政の指示を待つのではなく、時には住民が自らの判断で避難行動をとることも必要でした。
災害を「正しく恐れる」ことの難しさ
このようにいざ災害に見舞われた際、それがもたらす危険の程度を判断することはたとえ事前に準備をしていたとしても容易ではありません。災害時における判断の難しさについて、明治~昭和初期に活躍した物理学者で随筆家の寺田寅彦は、次のような格言を残しています。
“ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。”
これは1935年に浅間山が小噴火を起こした際、山を降りてきた学生と山の様子を学生から聞いた駅員とのやりとりを耳にした寺田が抱いた感想です。
浅間山の噴火を前にして「大したことはない。大丈夫」と言う学生に対し、「いや、そうではない」と首を振る駅員。つまり、この二人は今まさに目の前で起きている噴火がもたらすであろう危険について、正反対の見解を述べているのです。一見珍妙なこのやりとりは、私たちに災害を正しく恐れることの難しさを端的に伝えているといえるでしょう。