島根県松江市は、小泉八雲(ラフカディオハーン)が愛した歴史と伝統豊かな綺麗な城下町です。
この山陰路は、歴史に溢れ、日本海の幸に恵まれ、温泉も多いという、観光のメッカでもありますが、都市圏(首都圏)とは異なって、平日ともなれば人もまばらで、じっくりと観光が堪能できるお薦めのスポットです。ただ、(特に松江の)名所旧跡の多くが見学に拝観料をとっており、その金額が「少し高いのでは?」と思わずにはいられないということも一言付け加えておきましょう(笑)。散歩するだけなら無料ですし、この美しい景観を愛でるだけの価値は十分ある・・・とそんな土地柄ですね。
出雲の松江は、お菓子どころとして有名です。その中でも島根県松江市に本店を構える「彩雲堂さん」と「三栄堂さん」は全国に名を知られた老舗・和菓子屋さんです。
彩雲堂さんの和菓子のお薦めは『山川(やまかわ)』と呼ばれる紅白の和三盆と、写真の緑の和三盆と中に餅が入った見た目の美しい和菓子『若草(わかくさ)』(写真右)の2品。
三栄堂さんは、非常に上品なお菓子です。安来市の足立美術館(遠景を生かした庭園造りが見事!)の中にあります上品な茶室(茶室前の売店も一見売店とは分からない上品な店構えが更に素晴らしいです)のお菓子で、一見羊羹のように見える『日の出前』(写真左)は、昭和初期に陶匠・河井寛次郎氏が命名し、箱の書体一つから芸術家の手によるデザインとのことで将に全てが風流な銘菓です。甘からず上品な味わいで、箱のパッケージから中身のお菓子まで風流を味わえる『日の出前』は、この出雲国松江のお土産には、個人的に一番のお薦めです。
ちなみに、三栄堂さんの『菜種の里』というお菓子と、彩雲堂さんの『若草』『山川』の3品は、 茶人としても有名な松江藩7代藩主・松平不昧公の詠んだ歌に由来して命名されたそうで、今では松江三大銘菓と呼ばれているそうです。
その中でも、『若草』は、松平不昧公が当時食べていた製法が歴史と共に失われてしまい、明治になって初代の彩雲堂店主が、地元の古老や茶人の言い伝えをもとに「若草は多分こんなお菓子じゃないのかなぁ?」と復活させたという由来があります。面白いですね。
茶人・松平不昧公だけに、抹茶と一緒に上品に食べると、いっそう楽しめるそんな和菓子の逸品です。
松江城は、今から約400年前に堀尾吉晴が5年の歳月をかけて建てた(天守閣が)少々小ぶりのお城です。
堀尾家が絶えた後、松平直政が松江に入り、18万6千石の城下町として明治まで治めます。小ぶりながらも、松江城は日本の重要文化財となっているくらい、保存の行き届いた城で、良くある天守閣のみしか保存されていない城と違い、城郭のほぼ全てが綺麗に保存された必見のお城です。本当に保存の行き届いた景観の美しい、見事な城郭なんですね。
さて、島根県というと2000年10月6日昼に起こった「鳥取県西部地震(M7.3)」が記憶に新しいところです。震度6強の地震だったのにも関わらず死者ゼロ、火災ゼロ、と非常に被害の少ない運の良い震災でもありました。尚、島根県東部と鳥取県西部は、歴史的に大地震が起こりやすい土地柄ですが、1943年9月10日に発生した鳥取地震(M7.2)では、死者1,083名、家屋全壊7,485棟という甚大な被害をもたらしています。
島根県の地元の方に2000年の地震の話を伺うと「田舎で人住んでないから家が壊れただけで済んだんです―――」と皆口をそろえたように謙虚に仰っていました。正午過ぎ(13時30分)に起った地震だったので、近くの小学校では大山(だいせん=1,711m)にピクニックに行っていた最中に起ったそうで地元の方曰く「高学年の生徒は怖くて泣いてしまったらしいけど、低学年の生徒の中には揺れが楽しかったと語る生徒も・・・」と新聞には絶対載らないだろう貴重な話題(?)まで伺ってまいりました(笑)。
ちなみに、大山(だいせん)は美しい山ですが、この地震で頂上が崩れ、現在の標高は少し低くなったとも聞きました。
もう震災から2年の月日を経て、倒壊した建物(阪神淡路大震災(M7.2)と同規模の地震だったため倒壊した建築物は多かった)は、ほとんどが復興しております。
私が見てきた中で、鳥取県西部地震の当時を伺い知ることができる「注意書き」が、松江城の石垣に今も残っておりました。
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