今の東海地震説は、昭和51(1976)年に東大助手・石橋克彦(現・神戸大理学部地球惑星科学科教授)氏の発表した駿河湾地震説(東海地震説)の論文が元となっている。この一つの論文が日本政府を動かし、現在までの地震予知体制を築いてきた。
「いつ起こっても不思議でない」とされた東海地震説が世に出てからちょうど30年目を迎える今年。2006年3月27日、静岡新聞社の特集「東海地震は今」で気になる記事を見つけた。
東海地震説に「間違い」 提唱から30年 石橋教授見解
という見出しの記事である。
石橋教授が今年(2006年)に静岡新聞社の取材に応じ、地震発生のメカニズムと切迫性についての当時の解釈が結果的に間違っていたとする考えを明らかにした――――というものである。
記事中で、「東海地震予知研究や地震防災対策、法整備などの起点になった学説の提唱者が自ら「間違い」を口にしたことで、東海地震対策が大きな転機を迎える可能性も出てきた。」と報じている。
ただ、この「間違いだった」という指摘は、恐らく皆さんの想像とはかなりかけ離れたものでしょう。新聞記事として、多くの耳目を集めるためにわざとオーバーな題名にしたように思えてならないが、確かにスクープ記事でもある。
東海地震説とは、東海地域から南海道にかけ、過去100年から150年周期で大地震が繰り返し起こってきたことが分かっている。これが東海地震である。
東海地震は、過去に発生した安政東海地震(1854年)以降、東海地方西側で、東南海地震(1944年)と南海地震(1946年)が連続して発生したが、この時、駿河湾から御前崎沖では安政東海地震から大きな地震が起きていなかった。そのため、石橋教授はこの地震活動の空白域を東南海地震の「割れ残り」と仮定し、割れ残りに蓄積されたままとなっているエネルギーが放出される「本来の東海地震の姿」が「いつ起こっても不思議でない」と論文で発表したものである。
ところが、その安政東海地震の発生から既にリミットとされる150年が経過している。このような状況で石橋教授は、静岡新聞のインタビューで、「結果論」と前置きしながら、「割れ残り」の考え方が「間違っていた」との判断を初めて示した。のである。
記事のまとめにも書かれているが、
これは「東海地震の可能性」を否定する見解ではなく、社会にとって安心材料にはなり得ない。「東南海地震はどうして安政東海地震からわずか90年後に起きたのか」「なぜ、東南海地震では駿河湾の領域が破壊されなかったのか」など、多くの謎もまだ解明されていない。
と結んでいるものの、この日の見出し記事は「東海地震の可能性を否定するような錯覚を起こさせる」書き方であったことは、一読者として少し残念でならない。石橋先生に失礼な気もするしね。
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