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加藤清志が著書『伊東風土記』に記した格言(静岡県伊東市の郷土史家)[今週の防災格言215]

time 2012/01/23

加藤清志が著書『伊東風土記』に記した格言(静岡県伊東市の郷土史家)[今週の防災格言215]


『 自然災害は、過去の歴史を知ることが、最高の予防対策につながることになる 』

加藤清志(1928〜 / 静岡県伊東市の郷土史家 伊東市文化財審議委員長)

格言は著書『伊東風土記(サガミヤ選書12 1996年)』より。

曰く―――、

『 自然災害は、過去の歴史を知ることが、最高の予防対策につながることになるので、みんなの力で、できるだけ掘り起こし、記録して共通の財産としたいものである。 』

加藤清志(かとう きよし)氏は、静岡県伊東市在住の郷土史家。地方史研究協議会、伊東郷土研究会などに所属。公立小学校勤務、中学校校長を経て1988(昭和63)年以降、伊東市教育委員会の非常勤職員(伊東市立図書館郷土資料室)として伊東市史の編纂のための郷土資料整理に長く従事され、現在は伊東市文化財審議委員長の要職を務められている。
特に、古文書の記録から、明治の初めに伊東市付近で発生した群発地震に関する記述を発見され、これが東伊豆の地震活動周期に関する研究の貴重な資料となった。
主な著書に「私たちの郷土池の歴史(共著)」「中学高校生に語る郷土宇佐美の歴史」「伊東市ゆかりの伊東一族の人びと」など。

本書『伊東風土記』では伊東を襲った津浪の記録が詳細に載っており、防災上たいへん興味深い読み物となっている。以下、本書より要約(一部抜粋)し紹介します。

房総(千葉)から品川(東京)、三浦半島(鎌倉)、小田原、伊豆(熱海、下田)にかけ10mを超える津波が襲来した元禄地震(1703(元禄16)年 M8.2 大正関東大震災の一つ前の海溝型地震で規模は大正時代よりも大きかった)では、江戸時代の伊東地方の経済中心地だった豆州志稿和田村(現伊東市)は、大津波により163人が亡くなり壊滅している。古文書には『 これより別して寒村たり(震災以降、村はすっかりさびれてしまった)』と記されている。

元禄の大津波は、伊東平野の川に沿って津波がさかのぼったとあり、現在の伊東温泉競輪場(静岡県伊東市岡 伊豆急・南伊東駅)にある俗称「船ヶ洞」と呼ばれる洞は、この時の津波によって船がここまで運ばれて来たからだと伝えられている。

現在の伊東市街地の中心は、湯川村・松原村・和田村の三村からなり、JR伊東駅から海岸線に広がる街区が旧・湯川村、その南に隣接して大川に至るまでが旧・松原村、大川の南西側平野部が旧・和田村である。
伊東市は、標高3〜6mの平野部であったため、元禄地震の津波でほぼ全地域が津波に飲まれたという。

文禄3(1594)年の和田村の人口は、戸数126戸、人数560人に対し、元禄地震後の宝永7(1710)年には戸数76戸、人数430人に激減しており、人口の減少が元禄地震によるものだとすると総人口の約3割が亡くなったことになる。

隣接する伊豆急・川奈駅から東に600mほど先にある「海蔵寺(かいぞうじ 標高約20m)」の境内の階段(全23段 約5m)には、江戸時代以降に押し寄せた三度の歴史津波の記録が残っている。
元禄地震(1703年)には上から2〜3段目まで津波が来たという。
安政東海地震(1854年)には下から3段目まで来た。
波高8.2mの津波により56戸の住宅が流失した大正関東大震災(1923年)では下から7段目まで来たという。
階段の周辺の海抜は約2.5mであり、寺から海まで直線距離で約200mほど離れているが、現在の海岸線は50年前に埋め立てられてできたもので、当時は海岸まで50mほどだったと見られている。

 

<編集長 拝>

 

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