『 われわれは都市の破局を目の前にした。人間の被害は都市が物理的に巨大化していればいるほど大規模になる。 』
多木浩二(1928〜2011 / 評論家・思想家 専門は芸術学・記号論・哲学)
格言は阪神淡路震災直後の1995(平成7)年1月26日に読売新聞(夕刊)に寄稿された記事『巨大災害にもろい現代都市』より。
多木浩二(たき こうじ)氏は、哲学・思想から美術、写真、建築、デザインをはじめ様々な社会分野について評論を行った兵庫県神戸市生まれの芸術学者。東京大学文学部美学美術史学科卒業。東京造形大学教授、千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授を経て評論家となる。1960年代末に写真家・中平卓馬(なかひら たくま / 1938〜)氏らと写真同人誌「プロヴォーク」を創刊。現代都市の問題に深い関心を持ち、建築・デザインについての論文や数多くの著作で知られ、日本建築界に大きな影響を与えた思想家の一人としても知られている。1998(平成10)年『シジフォスの笑い―アンセルム・キーファーの芸術』で芸術選奨文部大臣賞受賞。2011(平成23)年4月13日、湘南・辻堂海岸の自宅近くの病院で肺炎のため死去。享年82。
曰く―――。
現代都市を巨大災害が襲ったらどうなるか。こうしたシミュレーションは、いろいろ聞かされてきた。しかしシミュレーションはあくまでシミュレーションであって現実ではない。不幸にして、それが現実に起こってしまったのである。
われわれは都市の破局を目の前にした。人間の被害は都市が物理的に巨大化していればいるほど大規模になる。
おそらく今回の大震災までは、神戸は日本の数多くの都市のなかでも、うまく成長し、発展していた都市のひとつであったように思われる。都市の規模は拡大し、反映し、豊かになり、たぶん、多くの市民は神戸を愛していたであろう。行政も、市民も、どこにこの都市の脆さがあるか、どこに欠陥が潜んでいるか、ほとんど考えたことがなかったかもしれないが、今、地震にたいする心構えが不足していたことを非難するのは酷である。行政が危機に即応できなかったことはさんざん指摘されているが、今回の地震では、行政の能力まで含めてひとつの都市がまるごと壊滅したのである。
今回の出来事を認識する視野が必要になる。これはたんに日本のひとつの地方都市の崩壊ではなかった。これほどの都市で、これほど致命的なカタストロフが発生すると、すでに世界的な性格をもった出来事になってしまうのである。今回は地震がカタストロフの原因であったが、地震ばかりでなく巨大災害あるいは巨大事故は、現代社会ではいつ生じても不思議ではないからである。この都市に親戚がいたとか、仕事の上での関係があったとかいう直接的な次元をこえて、日本全国の人びとがなんらかの救援の手をさしのべる意思を抱いたのも、こうした出来事の意味の大きさに衝撃を受けたからである。救援の手が国家の枠を超えて世界中からいち早くさしのべられたのも、膨張する人間の文明が死をかすめてとおるような危機を感じたからであろう。
しかしそれは同情を誘ったというだけではない。この危機を日本がどのようにして克服するか、そこに世界の関心が集中する。それは他人ごとではない。これだけ情報が流通する世界では、この震災にたいする日本の社会の能力は世界中からの注目を浴びている。日本のメディアが進行する火災を中継してスペクタクル化に熱中し、あるいは感傷にふけっているときに、外国のジャーナリズムの方が、行政能力への的確な批判を含めて、出来事の意味を正確に把握していたようである。
危機とともにいろいろなことが露呈してきた。これまで耐震技術にかけては世界に誇るものと思われてきた日本の技術も疑わしくなった。八〇年代までの景気のいい時代には見えなくなっていた社会的構造が、危機とともに見えてきた。被害を受け、死亡した人びとが、高齢者などに多かったことは否めない。さらに異様なことは被災者にたいする基本的な対応策が、信じがたいほど貧しいことである。この寒空に野外での生活を強いられている被災者はあまりにも痛ましい。しかも物質的に乏しい国ではなく、経済中心で走り、技術も整っているはずの日本での出来事としては理解できない。どこに経済大国と称してきた実力があるのか、と思わざるをえない。おそらく日本の社会のどこかに欠陥があるのだろう。われわれはそれを問われているのである。
今回の震災にたいして、直後の緊急な対策の実情はすでに見えているが、これから今後かなり長期にわたる再建に
いたるまでを考えると、それらの過程が、神戸というひとつの都市の能力の限界を超えているように思われる。それはさしあたり国家という次元での対応の強化に依存するだろうが、それで済むことではない。都市についての認識が変わらねばならない。
たしかに行政の単位はある。しかし現代の都市という活動の場は、行政の単位におさまっているのではない。都市は、いくつかの都市の関係のなかで成立している。もっと視野をひろげれば、都市が世界化しているのも見えてくるはずである。そこまでは無理でも、こうした隣接する都市群が、ひとつのあたらしい次元の政治的集合体を構成していたなら、そこにはより大きな危機に対応する能力も宿りえたかもしれない。ひとつの都市の行政の能力まで破壊するほどの危機も、こうして拡大された集合体でなら、それを部分として内部に吸収できたであろうし、被災者の救援ももっと効果的に行いえたかもしれない。こうした都市群の関係を理解していれば、隣接した自治体の、もっと効率的な救援活動が可能になったはずである。
いずれにしてもこれから神戸は再建の道を辿ることになる。そのとき、ひとつの都市の再組織化という以上に、日本の社会が、今回の衝撃をどのように受け止めたかが問われることになる。この危機に便乗しようとする企業や政治家には警戒しなければならない。すでにその萌芽(ほうが)があるからである。今、苦しい避難生活を耐えている人びとのあいだに育つ批判的な市民意識が、あたらしい都市を支える精神になることを願うのである。
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