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水島爾保布が著書『新東京繁昌記』に遺した格言(日本画家)[今週の防災格言315]

time 2013/12/23

水島爾保布が著書『新東京繁昌記』に遺した格言(日本画家)[今週の防災格言315]


『 九月一日を一期として、「江戸」は滅びた。 』

水島爾保布(1884〜1958 / 日本画家 小説家・随筆家 漫画家 挿絵画家)

水島爾保布(みずしま におう / 本名は爾保有)は大正から昭和にかけ活躍した画家。東京都下谷根岸(現・台東区根岸)生まれ。1908(明治41)年、東京美術学校日本画科(現・東京藝術大学)卒業。1912(大正元)年、川路誠(川路柳虹)、小泉勝爾、小林源太郎、広島晃甫らと「新樹社」を結成。1913(大正2)年、 長谷川如是閑(はせがわ にょぜかん / 1875〜1969 ジャーナリスト・評論家)に招かれ大阪朝日新聞にて挿絵を描く。後に長谷川や大山郁夫(1880〜1955 / 左派の政治家)らの雑誌「我等」に参加。1919(大正8)年に谷崎潤一郎著『人魚の嘆き 魔術師』の挿画がたいへん評判となり、以降、帝展(帝国美術院美術展覧会)で出品作も二度の入選をした。主に風刺随筆、挿絵、世相漫画などで活躍し、1958(昭和33)年12月30日に74歳で死去。長男の行衛(ゆきえ)はSF作家の今日泊亜蘭。

格言は著書『新東京繁昌記(日本評論社 1924年)』より。大正関東大震災後の復興について述べたもの。

曰く―――。

復興気分というんだそうだが、一面又博覧会前の景況を見るような気もする。
地震のひびきはあらかた消え失せたが、焼けたガラクタはまだ一向にかたづかない。煉瓦屑瓦っかけの山は至るところに散在している。 <中略>

地震の拵(こしら)えた文明ってものは一体どんなものか、まだ今のところ一向に判らないが、あれを機会にアメリカのしたプロパガンダは日本にとってかなり力強い刺戟を与えたところから推すと、恐らく今後の日本の文明ってものはその大部分をアメリカによって左され右されることになるかも知れない。余り愉快ではないが大化以来の輸入国とあれば、たとえ支那(中国)の真似をしようとアメリカの真似をしようと歴史への申しわけは立とう道理だ。とは既に佐藤五郎左衛門直方(1650〜1719 / 江戸時代の儒者)もいっている。が、しかし東京はニューヨークには勿論なる筈はなかろうし、銀座の通りが日本のブロード・ウェーになりそうな筈もないが、決して芸術家諸君の希望する通りパリのような都会になり、マロニエのグラン・ブルヴァールをシトロアンやゴーモンが川の流れるように走り、至るところに張り出しテントのキャフエ(カフェ)が出来、紙屑拾いのような画かき達が、かきぼくろのマダムを中心に、のんべんだらりと往来を見ているってえような結構な世の中にはなりそうもないのである。多分は天下何人の期待にも予想にも外れた、昔を今のガラクタ道路が布かれ、それが復興術などといい気な名によばれて、ひょろひょろの銀杏やいぬえんじゅの木が植えられ、往来には年が年中鼻もかめないような宣伝のビラがのべつに撒き散らされ、町には”こいや”らしいビルディングが蛎がらのような外壁をならべる位が落ちなんだろう。何を心配したって予算が予算だ、手も足も出やしない・・・(大正十三年二月)

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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